■日本の市民社会論を誰が継承するのか


戦後日本の社会思想史 近代化と「市民社会」の変遷

戦後日本の社会思想史 近代化と「市民社会」の変遷

小野寺研太『戦後日本の社会思想史』以文社

小野寺研太様、ご恵存賜りありがとうございました。

 大変よくまとまっていると思います。
 戦時中の大河内一男から、現代の見田宗介にいたるまで、「市民社会」という概念について論じてきた人たちの多くは、経済思想の分野で貢献している人たちですね。しかし現在、市民社会を論じる人たちは、そのための「経済的基礎」を論じていないようにみえます。内田義彦、平田清明、望月清司という経済思想家(経済学史家)たちを批判的に継承するとして、いま、新しい市民社会論を形成することが求められているように思われるのですが、誰も新たな論客がいませんね。
 大河内一男高島善哉にとって、市民社会とは、国内市場優位の生産力合理化をめざすことであり、そのような生産力によって支えられる社会でした。
 内田義彦の場合も類似で、財閥を解体して、労働者と農民によって生産力を発展させるような、「自然の発展経路」をもつ社会こそが、市民社会を支える基盤と考えられました。しかもこのモデルは、経済的帝国主義になるような発展経路を回避して、平和のための国際的な条件になるとみなされるわけですね。
 この内田義彦の議論に対しては、小林昇による批判があり、それは確かにするどいです。でも小林は、なにか規範的な社会のモデルを提示しているわけではありません。いずれにせよ、労働者と農民による自然な経路の経済発展が成功したとして、その次の発展段階では、どのような経済体制ないし経済過程が、市民社会を支える基礎となるのでしょうか。
 現在、私たちにはそれが見えていないと思います。
 平田清明によるマルクス読解は、大きな影響力をもちましたが、そのときに平田が「キーワード」とした「市民社会」の概念は、実は多様で曖昧なものでした。その後、市民社会論は、日本発の議論においては、あまり見るべきものがないということでしょうか。
 本書の最後は、見田宗介の「交響圏」と「関係のルール圏」の区別という話になっています。しかしこの見田先生の議論では、現代の市民社会の理念は、資本主義社会をどのように改革すべきであると提案しているのか、みえてきません。企業や労働組合や家族や圧力団体やNGOなどが、どのような仕方で再編されることが望ましいのか。市民社会論はこの問題に、もはや経済的基礎論を与えることができないのでしょうか。
 今後、例えばウォルツァーのような市民的コミュニタリアニズムの思想を、日本でも誰かが引き受けて独自に展開する余地はあるでしょう。私も考えていきたいです。