■三位一体説をどう捉えるか
- 作者: 大澤真幸,中村哲
- 出版社/メーカー: 左右社
- 発売日: 2010/03/26
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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大澤真幸編集の雑誌『THINKING O(オー) 創刊号』2010年4月、左右社
大澤真幸様、ご恵存賜りありがとうございました。
・医師の中村哲さんが、アフガニスタンで用水路を作ったことに、まず敬意を払いたい。その意義は何か。交響圏と交響圏をつなぐ、グローバルな連帯を実践的に表現している、ということだ。
・連帯の課題は、共同体と共同体の間に、たんにコミュニケーションを可能にするだけでなく、個々の共同体を包摂するような、包括的な共同性の関係を打ち立てることである。世界全体が一つの包摂的な営みになるとイメージできるためには、三位一体説的な発想が必要となる、と大澤は論じる。
・信仰の共同体が「聖霊」で、その共同体をいったん疎外し、物象化したものが「神」である。対自的な共同性においては、「聖霊」と「神」は一体化している、といえる。ところが、個々の共同体を超えて、信仰の包括的な共同性に到達するためには、「子(イエス・キリスト)」の働きが必要となる。それは、共同性を拡張する媒介の働きであり、中村哲さんの活動はまさに、それにふさわしいというわけだ。
・キリストのように生きることが、グローバルな包摂を実現する。この考え方と異なるグローバルな実践は、聖霊が、個々の共同性を超えて、共同体と共同体とのあいだに、コミュニケーションの媒介を果たすような働きであろう。商人、移民、マージナルな文化人、等々。マルチチュードの活動によるグローバリズムの推進は、もはや既成の共同体(聖霊と神の一体化した政体=国民国家)を維持せず、これを解消しながら、自生的な増殖原理となっていく。