■負け犬という自虐が効かないゼロ年代後半

無頼化する女たち (新書y)

無頼化する女たち (新書y)

水無田気流『無頼化する女たち』洋泉社新書、2009年

水無田気流様、ご恵存賜りありがとうございました。

・先日は、テレビでご一緒させていただき、とても光栄です! 詩人の文章とは、かくも読ませるものなのか、やはり息遣いが違いますね。しかもこれは結構、ネタが俗人受けするような。面白く読ませていただきました。

・正しいことをそのまま説いても、その説法は、人びとが生きるための血肉にはならない。むしろ例えば、酒井順子の『負け犬の遠吠え』(2003)のように、自虐的なスタンスで語るスタイルが、広く受容された。「未婚、子ナシ、30代以上の女性」を「負け犬」と呼んで、自虐する。負け犬は、結婚という目標のために、恥を忍ぶことができなかった。例えば、「妊娠したかもしれない」「料理が得意なの」等の嘘をつく、泣き落としや、一オクターブ高い声で話す、一人では生きて生けないフリをする、などのイニシエーションをすることが、無頼系の女性には恥ずかしくてできない。勝ち組負け犬は、女子役割を演じることが気恥ずかしい。

・だが酒井『負け犬』的な自虐が通用するのは、勝ち組の女性であって、低賃金労働の女性ではない。00年代の後半になると、もはや自虐が通用せず、サバイバルしなければならない状況がうまれる。すると、勝間本が次々と売れる時代になるのだが、これはつまり、①マネータブーを打破し、②女性の出世タブーを打破するという、画期的な言説の誕生、といえるだろう。「努力」「効率性アップ」「キャリア・アップ」「リスク管理」「自己主張」「金融リテラシー」等々。これらの目標がストレートに説かれるわけなのだから。