■負け犬という自虐が効かないゼロ年代後半
- 作者: 水無田気流
- 出版社/メーカー: 洋泉社
- 発売日: 2009/12/05
- メディア: 新書
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水無田気流様、ご恵存賜りありがとうございました。
・先日は、テレビでご一緒させていただき、とても光栄です! 詩人の文章とは、かくも読ませるものなのか、やはり息遣いが違いますね。しかもこれは結構、ネタが俗人受けするような。面白く読ませていただきました。
・正しいことをそのまま説いても、その説法は、人びとが生きるための血肉にはならない。むしろ例えば、酒井順子の『負け犬の遠吠え』(2003)のように、自虐的なスタンスで語るスタイルが、広く受容された。「未婚、子ナシ、30代以上の女性」を「負け犬」と呼んで、自虐する。負け犬は、結婚という目標のために、恥を忍ぶことができなかった。例えば、「妊娠したかもしれない」「料理が得意なの」等の嘘をつく、泣き落としや、一オクターブ高い声で話す、一人では生きて生けないフリをする、などのイニシエーションをすることが、無頼系の女性には恥ずかしくてできない。勝ち組負け犬は、女子役割を演じることが気恥ずかしい。
・だが酒井『負け犬』的な自虐が通用するのは、勝ち組の女性であって、低賃金労働の女性ではない。00年代の後半になると、もはや自虐が通用せず、サバイバルしなければならない状況がうまれる。すると、勝間本が次々と売れる時代になるのだが、これはつまり、①マネータブーを打破し、②女性の出世タブーを打破するという、画期的な言説の誕生、といえるだろう。「努力」「効率性アップ」「キャリア・アップ」「リスク管理」「自己主張」「金融リテラシー」等々。これらの目標がストレートに説かれるわけなのだから。