■無駄な個人主義の意味

岡田康宏『日本サッカーが世界で勝てない本当の理由』マイコミ新書、2010年

岡田康宏様、ご恵存賜りありがとうございました。

・まず一人の選手が、無駄に走って仕掛ける。するとそこに、スペースが空く。空いたスペースを利用して、今度は、別の選手がそこに飛び込んでいく。そうやって、相手の守備陣のほころびを生み出していかねば、チャンスは生まれない。この戦略が成り立つためには、最初に無駄走りをする選手の行動を、みんなが高く評価することができなければならない。

・この動きをすることができる攻撃型の人材は、いま、企業にも欠けてる。大学にも欠けている。サッカーだけの問題ではないのだ。日本社会はいま、個人主義化と保守化という、二つのベクトルをもっているが、いずれのベクトルにおいても、最初の無駄走りをしっかり評価するような公共性は失われてしまう。個人主義化がすすめば、すべてが自己責任となり、だれも「無駄走り」することができなくなる。他方、コミュニティが一体性を強めて、保守化すればするほど、最初の無駄走りをするという個人主義プレーを、共同体の内部で評価することができなくなる。サッカーが教えるのは、無駄な個人主義的プレーを評価することができる共同主義、という理想だ。そのような理想のコミュニティは、いかにして可能なのか。それが社会思想的にも問われなければならない。