■将来世代の権利を代理するエイジェンシーが必要

人権の主体 (講座 人権論の再定位)

人権の主体 (講座 人権論の再定位)

愛敬浩二編著『人権の主体 人権論の再定位2』法律文化社、2010年

愛敬浩二様、吉良貴之様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

第三章、吉良貴之著「世代間正義と将来世代の権利」を拝読させていただきました。

 「脱」原発をめぐる思想的な問題の一つは、将来世代に核廃棄物を残してよいのか、というものですね。この章では、将来世代の問題を考えるための理論的な道具が、さまざまに紹介され、まっとうな結論が導かれています。
 興味深いと思ったのは、アーネスト・パートリッジの議論の紹介です。パートリッジによれば、将来世代の権利論にとって、難点とされているのは、四つあります。しかしどれも決定的な困難ではなく、将来世代の権利は可能なかぎり認められるべきだ、という理路が示されます。
 一つは、時間的な遠隔。しかし問題は「時間」そのものではなくて、私たちの予見能力だ、ということになります。第二に、誰も代弁者がいない、という問題。これは私たちの誰かが「代理」で将来世代を代弁することができれば解決されます。ここで重要なのは「代理する」ための実践や制度です。どのような仕方で、代理を構成するのか。それが正義の社会構想にとって、大きなカギとなるでしょう。第三に、将来世代はまだ存在しない、という困難です。しかし例えば、死者に対する権利を私たちが認めるように、非実在に対しても、それが存在した、あるいは存在するであろうという自然な根拠をもとにして、権利を認めることはできるでしょう。第四に、将来世代の権利が、いつ誰の権利になるのか、特定できない、という問題があります。しかし私たちは、例えばキャンプ場を使ったら、次に使う人が特定できなくても、清掃しておくことを義務として求めることができます。このような義務の観念によって、将来世代に対する私たちの義務を考えることはできるでしょう。
 本論文では、このパートリッジの議論が批判され、法人格のような擬制でもって将来世代の権利を擁護する方向に、議論が展開されています。
 将来世代と言っても、どこまでの範囲で確定するのか。それは結局、いまの段階では多くの場合、国民国家をベースとした共同体の紐帯を前提とする範囲になるのかもしれません。しかし共同体の範囲の問題は、将来的には変容していくでしょう。