■将来世代を代弁して、誰かがその利害を語らなければならない

夢よりも深い覚醒へ――3・11後の哲学 (岩波新書)

夢よりも深い覚醒へ――3・11後の哲学 (岩波新書)

大澤真幸『夢よりも深い覚醒へ 3.11後の哲学』岩波新書

大澤真幸様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 3.11後に考えるべき、いろんな論点が提示されています。将来世代を代弁して、誰かがその利害を語るような民主主義のシステムを考えることはできないか。それがラカンの試みを導きの意図として語られている点が、とりわけ面白いと思いました。
 以下、ウェブ論座シノドス・ジャーナルに載せた拙文(本書の紹介の部分)を、再録します。

 エコロジカル・フットプリントが示しているのは、地球に負担をかけない生活の水準である。だが世界全体で、人類はすでに、資源環境を維持できない水準に達している。このまま資源を浪費していくと、どうなるのだろう。
 資源はいずれ枯渇する。それが100年先だろうか、1,000年先だろうが、私たちにとっては、どうでもよいことかもしれない。多数派がそのように考えるかぎり、民主主義の枠組みでは、制度を変えることはできない。だが私たちは、将来世代への責任を負っているのではないか。
 ロールズはそのような関心から、「正義の理論」の前提を修正した。ところが本書の中で大澤真幸は、ロールズの修正の試みが、失敗であったと批判する。高レベル放射性廃棄物は、10万年程度は、生物の生存権から隔離されていなければならない。しかし10万年先の将来世代に対して、私たちはいかなる責任を負っているのか。それはロールズが考えるような、過去から受け継いだ遺産を将来世代に継承する責任がある、という程度の考え方では解決できない。
 私たちが過去から受け継いだ遺産の一部は、「負の遺産(資源環境の悪化、あるいは放射能放射性廃棄物)」である。この遺産を10万年後の人類に継承していく、あるいはさらに多くの負の遺産を加えていくための正当化根拠は、いかなる倫理的基礎に基づくのか。本書の最後に、そのような問題を解決するための「委員会」のあり方について、ラカンが実際試みた事例を参照に、強度の思考がつづく。きわめて思考喚起的な一冊である。