■想定以上に長生きしたら、社会を達観する方法がほしい

《非常事態》を生きる

《非常事態》を生きる

ジグムント・バウマン『《非常事態》を生きる』高橋良輔/高澤洋志/山田陽訳、作品社

高橋良輔様、高澤洋志様、山田陽様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 現代を代表する思想家、バウマンのインタビュー集であり、バウマン思想の全体像への入門書となっています。原書のタイトルは、「残りわずかな時を生きて(Living on borrowed time)」ということですが、本書を読んで、バウマンという思想家は、40歳を過ぎた、ある意味ですでにもう十分に生きた人間が、なお人生と向き合うために、社会を批判的に認識する方法を開発した人なのだな、と改めて感じました。
 近代社会というのは、「死」に十分な意味を与えることができない。だから近代人は、できるだけこの幸せな人生が長く続けばいい、と考える。SF作家のミシェル・ウエルベックの著作『ある島の可能性』を紹介しながら、バウマンは、近代社会というものが、死の問題が、はたして私たちの幸福を汚すのかどうか、と問いかけます。40歳を過ぎても、この問題を考えないでいると、突然、人生の終局に対面することになる。そしてオロオロする。
 オロオロしないためには、「死」への意味づけを隠蔽している「近代社会システム」というものを、総体として相対化しておかないといけない。そのための歴史認識の方法をもたなければならない。あらゆる政策、あらゆるイデオロギー、あらゆる規範を相対化して捉える社会学の技術を身につけなければならない。そうした認識でもって、人生を「達観」できるようになったら、私たちは、十分な余裕を持って、自分の「死」と向き合うことができる。そういうものとして、バウマンの言っていることを読むと、とても面白いです。
 実際に、福祉国家をどうするか、という問題に対しては、脱領域的でコスモポリタンな非政府組織に期待するという、いわば「善き帝国」の実践を展望するということになります。
 もう一つ、正しい観察がありました。こんにち、「左派」であることは、「右派」が成し遂げようとしてできなかったことを、より完全に実行できることを意味する、という指摘です。(97頁) バウマンは、従来型の左派思想にコミットメントせず、新自由主義を達観的に批判しています。それは続くだろうし、非常事態としての危機も続くだろう、という諦観です。