■ 熟議は過激化する

熟議が壊れるとき: 民主政と憲法解釈の統治理論

熟議が壊れるとき: 民主政と憲法解釈の統治理論

キャス・サーンスティン『熟議が壊れるとき』那須耕介編訳、勁草書房

那須耕介先生、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 いくつかのとても興味深い論考が収録されています。熟議は、熟慮あるコンセンサスに向かうのかというと、そうではなくて、極化する。そういう可能性が、人びとの集団行動のなかにある、ということですね。さすがに裁判の過程では、陪審員の判断が極化することは望ましくないだろうと思いますが、別の場面では、個別の熟議の極化は、全体のなかで一定の意義をもっているかもしれません。私は「熟議は熟さない」ということを言っているのですが、熟議のデザインそのものが、規範的な問題になるのだと思いました。
 第五章の「第二階の決定」も、興味深いです。所得再分配のようなシステムは、どのような意思決定によって実行的になるのか、また正当化されるのか、という問題に照らして考えると、「格差原理」の問題が、また別の角度からみえてきます。第五章はまだアイディアの域を出ていないですが、この方向で規範理論を発展させていく余地があるでしょう。