■15世紀中国の大遠征


大澤真幸『〈世界史〉の哲学 東洋編』講談社

大澤真幸様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 分厚い本ですが、面白くてどんどん読み進めることができるので不思議です。
中国は明の時代の宦官、鄭和は、1405年から1433年にかけて大遠征を行いました(当時の皇帝は第三代、永楽帝でした)。マラッカ、セイロン、アラビア半島の南西端のアデン、そして、アフリカ東海岸のマリンディにまで達しています。15世紀のこの航海は、当時のヨーロッパ諸国の大航海と比べても、遜色のないものでした。鄭和の艦隊は、アフリカからライオンやシマウマなどの珍しい動物を、中国にまで持ち帰っています。
 鄭和の艦隊は、カリカットに到着した最初の遠征では、長さが150メートル、幅が60メートルもある巨艦のほか、62隻の船を使って、二万八千人近い船員を乗せて航海したと言われています。
 これだけの大航海をする技術と権力をもっていたのだから、中国の文明は決して、ヨーロッパ諸国に劣っていたわけではありません。しかし遠征は、皇帝の命令で行われていたため、皇帝が死去すると、遠征自体が終わってしまいました。中国では、遠征は、「朝貢システム」に組み込むことができる範囲で、他国との関係を結ぶという目的をもっていました。アフリカに遠征に行っても、当時は中国との朝貢関係を築くことができなかったわけですね。
 これに対してヨーロッパ諸国は、経済的な利益を求めて、他国との関係を築いたり、あるいは他国を支配したりします。こちらのほうが、遠くまで遠征に行くインセンティヴがあった。結局、「近代化」というのは、朝貢システムを拡張する形で他国との関係を築くという方法では、起きなかったというわけですね。家産制にもとづく再分配のシステムには、どこまでも膨張していこうとする帝国化の作用に限界があった、と考えられます。