■他者の死を記憶するコミュニティ
ウェブ社会のゆくえ 〈多孔化〉した現実のなかで (NHKブックス)
- 作者: 鈴木謙介
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2013/08/27
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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鈴木謙介様、ご恵存賜り、ありがとうございました。
現代社会の問題をさまざまな角度から論じながら、共同体をいかにして立ち上げるか、という問題に迫ります。大変読みやすく、名文だと思います。
ブランショによれば、共同体を基礎づけるものは、共有の権能を停止してしまう「死」であり、それは各人にとって、最初にして最後の出来事です。死とは、共同性の不可能性です。けれどもそのような不可能性に直面して、私たちはなお、共同体を開示しておこうとします。他人の死を、自分に関わりのある唯一の死であるかのように受け止めることがあります。他者の死を受け止めて、私たちはそれを弔い、記憶し、痛恨の感情を継承しようとします。そのような仕方で自分を他者へと投げ出し、共同体を基礎づけます。
他者の死をどのように受け止め、どのように継承するのか。その内実によって、私たちはさまざまな共同体を立ち上げるでしょう。「失われた」という感覚は、どのような共同性を喚起するでしょうか。例えば家族や親しき者の死は、その親密圏において共同体を立ち上げますが、それ以上に共同性を拡張する原理ではないでしょう。見知らぬ人でも近くに住んでいる人の死は、近隣共同体というものを立ち上げるでしょう。原爆による死者の死を受け止める場合、これは日本人という共同体を立ち上げるのか、それとも平和を求める人類の共同体を立ち上げるのか、両方の可能性がありますね。
ドイツ人のアーティスト、マルクス・キーソンによる作品「タッチド・エコー」は、ドレスデンを見下ろす高台の鉄柵を利用したもので、その鉄柵に人が肘をついて耳を当てると、骨伝導によって飛行機が降下する音や爆撃音が響いてくるという仕掛けになっています。そのような仕方で、ドレスデンの空爆という歴史を呼び起し、被害者に共感する人たちの共同性を立ち上げるという方法は、ドイツ人という共同性を超えた、人類の平和共同体を抽象的に喚起するでしょう。
死者をどのように記憶するかという問題は、共同体をいかにして立ち上げるかという問題と密接に結びついています。別の言い方をすれば、私たちはどのような仕方で自己と他者の死を意味づけるかという問題が、問われていのですね。