■内田芳明先生の思い出

ヴェーバー『古代ユダヤ教』の研究

ヴェーバー『古代ユダヤ教』の研究

 内田芳明『ヴェーバー「古代ユダヤ教」の研究』岩波書店、2008年

 2014年7月8日、内田芳明先生が90歳にて永眠されました。
 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 私が内田芳明先生のゼミ(横浜国立大学)にオブザーバーとして参加したのは、1987年の春、大学2年次の前期であったと思います。約3人の学生と先生で運営された少人数のゼミでした。
 とくに印象に残っているのは、ウェーバーの『宗教社会学論選』を輪読したことです。私も発表する機会をいただきました。一週間かけて、ある部分を何度も読み返して準備したことを思い出します。
 学部生の当時は、内田先生に勧められて、クラーゲス『リズムの本質』などを読み、生と芸術の関係について考えたりしました。生の哲学から入り、その後、ウェーバーの魅力を知ったわけですが、そのような知への誘いを、すべて内田先生の人格的な魅力によって導かれたように思います。また、内田先生の訳『古代ユダヤ教』(ウェーバー)は、ずいぶん後になってから読みました。とても感銘を受けたことを記しておきます。
 内田先生はいつもウェーバーの私的な側面について語ってくれましたが、面白かったです。そのネタ本であるマリアンネ・ウェーバーウェーバー伝についても、後で読み、感銘を受けました。
 当時の内田先生は、『風景の現象学』など、一連の風景論を展開されていました。エディンバラの風景がいかにすばらしいのかについて語ってくれました。私も大学2年次の夏にエディンバラを訪れる機会があり、なるほどこの風景のことか、とリアルに感じた次第です。
 内田先生の主張のなかで、最も印象的なのは、「境界」と「周辺」は異なること、文化の創造は「境界(マージナルな領域)」からなされること、そして日本は歴史的・地勢的にみて、そのような境界的な位置にあるということ、こうした「境界性」についての理解です。
 内田先生は、西洋の近代化とともにあるウェーバー社会学を研究するに際して、日本人あるいは東洋人であることの文化的劣等性を意識しながらも、マージナルな位置から新しい文化を創造するという意欲や自負心をお持ちであったように思います。実際、1980年代の日本人というのは、多かれ少なかれ、およそそのような文化的なルサンチマンとプライドという、相反する意識を合わせもっていたのでしょう。けれどもその後の日本社会は、近代化の成功とともに、マージナルな位置を失っていったのではないでしょうか。「文脈に埋め込まれた自我」という、コミュニタリアニズムの理念がしだいに納得のいく社会状況が生まれてきます。