■正義と人道の二分法について


グローバルな正義

グローバルな正義

宇佐美誠編『グローバルな正義』勁草書房

宇佐美誠様、瀧川裕英様、神島裕子様、ご恵存賜りありがとうございました。

 貧困や災害などの問題をグローバルな水準で解決する際に、「正義」の観点が重要になります。まず自生的に、ヒューマニズムの観点から、さまざまな援助の試みがなされます。そうした援助の試みを、今度は「制度化」する段階に至ります。そのときに「正義」の基準が立てられます。
 事態を「正義」の問題として立てるためには、一方でプラグマティックに、どのような仕方でそれを「制度化」できるのか、という統治上の技術が問題になりますね。それをあらかじめ構想しておかないと、正義の要求それ自体も、観念的で弱いものになってしまいます。
 ただ考えてみると、「正義の義務は制度にかかわり、人道の義務は行為にかかわる(interactional)」という二分法は、制度の概念を狭くとりすぎているようにも見えます。ある種のリバタリアンであれば、最低賃金制度だとか、労働基本法の運用などは、人道的な観点から肯定する場合には認められるのであり、たとえこれらの制度を実現するとしても、それは正義の要求からではない、と発想するでしょう。
 反対に、国際的なレベルで人道支援をする際にも、この程度が「妥当な水準」の支援である、という公平性の発想をもつ場合には、正義の要求に従っているようにみえます。
 つまり、同じ制度を「正義」の観点から求める場合と、「人道」の観点から求める場合があるわけです。
 確かにレトリックとして、「正義」のほうが制度的に強い要求であるとは思います。けれども「正義」と「人道」の義務は、二分法のようにはなっていない。格差原理にしても、これを人道的な観点から正当化することもできるでしょう。そんなことを考えてみました。