■正直になるのは大変

慈悲と正直の公共哲学:日本における自生的秩序の形成

慈悲と正直の公共哲学:日本における自生的秩序の形成

桂木隆夫『慈悲と正直の公共哲学』慶応義塾大学出版会

桂木隆夫様、ご恵存賜りありがとうございました。

 本書において「慈悲」の概念は、家康の武士道に即して特徴づけられています。
 第一に、仏教の観音信仰や地蔵信仰にさかのぼる「平等主義」、あるいは「同じ釜の飯を食う」という現場主義、君主が家臣のところまで降りていって苦楽を共にするという考え方。
 第二に、覇道の文脈で、「慈悲」と「智恵」と「正直」を三種の神器として、これらが一体となって発揮されるように統治する、という意味。
 第三に、君主の慈悲に答えるために、家来は「死習い」の奉公をすることが求められる、という観念。
 これらの特徴は、儒教と仏教と神道の三つが習合したところに成り立っていた、ということですね。
 一方、「正直」の観念は、海保青陵によれば、次の三つの組み合わせによって成り立つ複雑な道徳的判断です。
 第一に、自分が自分をひいき目なしに見るという「智」。
 第二に、自分の身をいろいろの仕方で物にしてみて、そのいろいろの情を知るという「智」。
 第三に、よくよく平均して大局的に判断することで、自分の心がみな自分を利するという「智」。
 このように特徴づけられる「正直」は、他人に「共感」を要求するわけではない点で、スコットランド啓蒙的な道徳とは区別されますが、観察者の視点から道徳の働きを研究して、自分を冷静に捉えるという発想が「正直」とされるのは、興味深いことです。「良心」の働きと似ていますね。いずれにせよ、海保青陵的な意味で「正直になる」ことは、大変な自己陶冶を必要としています。