■国債の発行という国家主権を、だれが制約できるのか

ヒュームにおける正義と統治―文明社会の両義性

ヒュームにおける正義と統治―文明社会の両義性

森直人『ヒュームにおける正義と統治 文明の両義性』創文社、2010年

・森直人様、ご恵存賜りありがとうございました。

・これまでの研究史を踏まえたうえで、その盲点となる部分を読み解き、十分な含意を引き出した好著だと思います。これだけヒューム研究の蓄積があるところで、一つのブレスクスルーではないでしょうか。

・もちろんヒュームの政治学は、まともな感覚で書かれているので、何か原理的な理論に基づいて厳しく文明を批判するという感じではないですよね。ただ現在の日本のように、国債の発行によって巨額の財政赤字を埋め合わせるという状況に照らしてみると、ヒュームの観察は、やはり重要な警告を与えているようにみえます。

・ヒュームは、人間本性のすべてを信頼していたわけではないので、国家介入をある程度まで認めるわけですが、公債については、それは人々が民主的な判断で導入するとしても、結果として国家を弱体化させ、専制権力を呼び寄せることになるかもしれない、と考えている。そうなると何が必要か、と言えば、国家が公債を発行する「主権」を、なんらかの仕方で制約するような、国際的に普遍的な理念であり、その理念によって、市場社会を統治しなければならない、ということになる。この点をヒュームは展望していたのでしょうね。閉じた国家ではなく、開かれた国家。それは国際関係の中で可能になるわけで、グローバルな統治が必要であることの、一つの根本的な問題提起であるようにみえます。