■チェルノブイリと比較しうるレベルを想定する

20110315

 この度の大地震で、ご家族を失われた方々、愛する人を失われた方々、家屋を失われた方々、避難所で「一日一個のおにぎり」しか口にできなかった方々、いまなお毛布がなく寒い思いをされている方々、想像もつかないくらい大変な思いをされている方々、、、被災された方々すべての皆様に、謹んでお見舞いを申し上げます。そして、亡くなられた方々の命に、何度もお祈りを捧げます。

 昨晩の段階で、起こりうる最悪の事態と思われたこと、すなわち、「高濃度放射能の放出」という事態が、本日の朝刊で伝えられました。

 マス・メディア(あるいは情報発信元の東京電力)にとって重要なことは、客観的な情報をいち早く報道することです。でもそれ以上に重要なことは、パニックを未然に防いで、人々の安全を最大限に確保することです。かりに客観的な情報が正確に伝えられたとしても、それを受けとめる側に冷静な解釈力と判断力がなければ、大衆現象としては、パニックに陥るかもしれません。緊急事態においては、国家が事実認定力を持ったり、あるいは報道を規制したりすることは、ある程度まで仕方のないことだと思います。ただその一方で、私たちは、あらゆる仕方で、国家に対抗するメディアにも、耳を傾けなければなりません。

 これまでの報道をみるかぎり、事故の報道過程は、大きなパニックをなんとか防いでいるように見えます。しかしそれは、うまくできすぎたシナリオのようにも見えてきます。パニックを防ぐために、リスク情報が小出しに出されているような感じもします。たとえばもし、事故の一日目で放射能漏れの可能性が報道されたとしたら、どうなっていたことでしょう。

 いずれにしても、私たちはいま、最悪の事態と最善の(最も最悪ではない)事態をともに考えて、冷静に行動しなければなりません。起こりうる最悪の事態を想定したうえで、しかも数年先の日本社会に希望を見出さなければなりません。

 数年後の日本社会を見通すためには、たとえば、復興のための公債を特別に発行して、地域限定の貸付制度を新たに提供する。そのような仕方を含めて、経済復興を展望することが必要になってくるでしょう。もちろん、その際には同時に、震災地域をどのように復興するのか、産業構造をどのように転換させていくのか、といった産業政策との兼ね合いで、政策のパッケージが組まれなければならないでしょう。計画的な復興をデザインするためには、少し時間がかかるでしょう。

 その前にまず、これから起こりうる最悪の事態を想像してみます。 本日3月15日の『朝日新聞』夕刊の見出しは「福島第一 制御困難」でした。夕刊一面には、こう書かれています。 「極めて深刻な放射能放出が始まった。すでに福島第一原発の敷地内では非常に高い放射線量が検出されている。今後、1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故と比較して語られることになる」と。

 起こりうる最悪の事態は、チェルノブイリでの被爆死(推計4000人)と比較しうる事態でしょう。 福島第一原発の2号機は、現在、格納容器の一部である圧力抑制室がすでに破損しています。原子炉が、これからすべて溶けるとすれば、溶けた原子炉から、放射性物質が環境に出てくる可能性があります。この可能性を、過度に悲観視する必要はありませんが、いまは一つの可能性として、受けとめなければなりません。依然として、緊張が続いています。