■アウラを求めているのか

ヴァルター・ベンヤミン――「危機」の時代の思想家を読む

ヴァルター・ベンヤミン――「危機」の時代の思想家を読む

仲正昌樹著『ヴァルター・ベンヤミン』作品社

仲正昌樹様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

本書は、ベンヤミンについての、六回にわたる講義の内容です。ベンヤミンの思想を分かりやすく読み解いています。

ベンヤミンによれば、オリジナルよりも、複製芸術のほうが、創造の余地があるという。技術的に、複製芸術の分野で創造の可能性が広がっていくと、私たちもはや、「アウラ」、いまここの一回かぎりの体験というものに、あまり価値を置かなくなるかもしれません。複製芸術の社会では、「オリジナル」を求めて出かけていくことは、重要ではありません。オリジナルとの対面は、創造性を掻き立てるための経験としては、絶対的な魅力をもたなくなります。オリジナルであるとか、オーラがあるとか、唯一無二であるとか、「いまここ」の経験とか、非反復的一回性とか、そういう特殊化された体験は、しだいに芸術的な権威を持たなくなります。

現代人であれば、ウォークマンやノートパソコン、アイパッドのように、どこにでも持ち出せる「可動性」に、経験としての大きな価値を認めるかもしれません。「オリジナルではなく、多くの複製」、「オーラではなく、圧倒的な量とスピード」、「唯一無二ではなく、無限のコピー可能性をもった保管」、「いまここではなく、いつでもどこでも持ち歩けるという可動性」、「一回性ではなく、無限の反復可能性をもった体験」、といった特徴が、創造性を喚起することになるでしょうか。

創造性を重んじる人は、創造的な作品をそのまま追体験することには、あまり意義を見出さないでしょう。むしろ作品に別の仕方で接することが、新しいきっかけを生み出すのでしょう。オリジナルを重んじるのは、ある種の批評家の精神であり、それは哲学的な意味での「観照」生活の理想の観点から、芸術を捉えているのかもしれません。観照的生活は、しかし、活動を重んじる人々にとっての理想ではありませんね。批評もまた、ますます創造喚起的であることが、求められているのかもしれません。