■センの自由主義批判に対する批判

法哲学 (法学叢書)

法哲学 (法学叢書)

亀本洋著『法哲学』成文堂

亀本洋様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 法哲学の講義のための教科書、ということですが、分厚いですね。亀本先生の主著となる集大成ではないでしょうか。五〇代半ばにして、このような大著をまとめられましたことを、心よりお喜び申し上げます。
 いろいろな内容がつまっており、研究人生そのもの、という感じです。研究人生というものは、最初は論理的なパラドックスのようなものに引かれて入るという、そういう部分があるかと思います。本書では例えば、ホーフェルド図式に関する議論ですね。歳をとってみると、こういった議論に対する魅力はあせて、もっと重要な問題があることが分かります。本書には、そういった導入がまずあって、そこからノージック最小国家論、市場と競争、とりわけオーストリア学派の父、メンガーの議論を経由して、「法と経済学」というテーマに進み、それからアリスとてリスを経て「分配の正義」論に至り、最後に到達するところが、自由論なのですね。
 どれも私がこれまで関心を寄せてきたテーマです。大変興味深いです。自由論のところで、ハイエクのという「パワーとしての自由」について触れられています。「選択しうる物理的可能性の幅」という意味ですが、ハイエクによれば、これは「本来の意味での自由」ではない。ところがアマルティア・センは、この「パワーとしての自由」を軸として、議論を展開します。その議論が「パレート派リベラルの不可能性」として定式化されるとき、それはしかし、リベラリズムを否定することにはならないのだという指摘は、まさにその通りでしょう。
 センの使用する「リベラリズム」ないし「自由」は、他の構成員の選好にかかわりなく、社会状態の一部を決める権限を、個人が持っている、という意味です。しかしこれは積極的な自由の概念であって、リベラリズムのいう「私的領域の保障」としての自由とは、意味が異なります。センがパラドックスだといっているのは、積極的自由のパラドックスですね。579頁、同感です。