■「統治2.0」はハイエク的なアイディア

「統治」を創造する 新しい公共/オープンガバメント/リーク社会

「統治」を創造する 新しい公共/オープンガバメント/リーク社会

西田亮介/塚越健司編『「統治」を創造する』春秋社

西田亮介様、塚越健司様、吉野裕介様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 少し前までは、フーコー的な流儀にしたがって、統治する/される、ということに対して距離をおき、あらゆるガバナンスから自由になるような批判的立場こそ、すぐれた知的立場であるかのように語られていました。ガバメンタリティに対して批判して、ミクロの統治権力から逃れるためには、いかにして現実を解剖することができるか、というような関心が知識人を支配していました。
 ところが本書のように、「統治」をすくなくとも(ビジョンやポリシーとは区別される)オペレーションの次元で創造していこうという関心は、清新で真摯な取り組みです。
 たしかにウェブを使えば、民主主義はもっとうまく機能するかもしれないですよね。情報や意見の集約、意見の熟成、関連する情報の提供、コミュニケーションの濃密さと円滑さ、等々、情報に関する環境は、少なくとも従来の民主主義過程よりも、格段によくなっているわけです。これだけソーシャル・メディアの利用が普及したのだから、統治の構造も変えられるのではないか。そんな関心から、本書はさまざまな論者たちが寄稿しています。
 吉野裕介「ハイエクの思想から読み解くオープン・ガバメント」は、ハイエクの知識論というものが、政府を小さくすることよりも、政府を開くことに有効であるということが示されていて、興味深いです。「個別的で現場に埋め込まれた知識」というものをうまく利用するためには、経済であれば計画経済ではなく、市場競争を通じて新しい発見と流通を促すことですよね。では民主主義において「現場の知識」を有効利用するためには、どうすればよいでしょう。コンピューターが発達した社会においては、人々の個別の意見をデータベースとして蓄積し、それを他者が利用することができます。法案をめぐって、人々がさまざまな意見を述べ、それらが蓄積されて、やがて熟慮ある政治判断に結実していく。そういう過程を展望することができるでしょう。
 政府というのは、大きいか小さいかという観点から判断されるよりも、むしろ民主的に決めるべきことについて、人々の意見をデータベース化して、共通のプラットフォームに公開しているかどうかで判断する。そのようなプラットフォームをもっている政府と、もっていない政府の違いこそが、民主主義の質的違いを決定づけるでしょう。それが「統治=政府2.0」という発想です。
 ハイエク的な「文化的進化」のアイディアを応用するなら、政府はプラットフォームのなかに、「あの国ではこれを導入してうまくいった」とか「いかなかった」という「比較制度分析」の情報を組み込む必要があるでしょう。政策や立法というものは、手探りです。一度採用された政策や法律を、いかにして変更するのか、あるいは取捨選択(淘汰)するのかというときに、他国のシステムを参照することはとても重要な判断材料になります。そのような判断材料とともに、文化的進化のメカニズムを政治に応用していくことができるのではないか。そんなことを考えました。いろいろと啓発されました。