■ヒュームは人間本性の弱さから正義を導いた

ヒューム 希望の懐疑主義―ある社会科学の誕生

ヒューム 希望の懐疑主義―ある社会科学の誕生

坂本達哉著『ヒューム 希望の懐疑主義慶応義塾大学出版会

坂本達哉様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 主としてヒュームの『政治経済論集』に焦点を当てた思想史研究の集大成です。ヒューム研究の現代的成果を十分に取り入れた緻密な完成度を誇る達成です。
 人間本性、あるいは人間の本来的な弱点という観点から、ヒュームは「社会形成の意義」(これがすなわち、「正義」を意味します)というものを、次のように正当化しました。(1)単独労働では生産力が上がらないので、諸力を結合させる必要がある。(2)自給自足労働では技術が停滞してしまうので、分業でもって技術を向上させる必要がある。(3)生産労働は不安定なので、相互扶助によって安全を確保する必要がある。(64頁以下参照)
 ヒュームは、社会的な結合を不可能にするような争いを避けて、物的財の所有権秩序を築くことが、正義にかなうと考えました。ヒュームにとって、所有権秩序の問題は、正義の中核的な問題です。正義はこの場合、経済的協業によって、社会的な富を形成することにあるといえるでしょう。
 人間は本来的に弱い存在なので、社会的協業や社会的結合を必要としている。この論理はしかし、社会的協業や社会的結合をつうじて、そこから最大の経済的利益を得るために、人間は本来的に社会的に生きるだろう、という論理に転化されています。
 ただ、この論理の転化をあまりにも人為的・人工的に考えると、所有権の秩序は、かえって揺らぐでしょう。その都度の具体的な場面で、最大の利益を得るという「経済合理性」の考え方にしたがって、所有権の秩序は、書き換えられてしまいます。そのような恣意性を防ぐために、ヒュームは、正義の諸規則が、社会の歴史的展開を基礎としていること、したがって正義は、漸次的に生成して、規則違反の不都合を緩慢にくりかえしていくうちに、少しずつ変化して確立されていくべきだ、と考えました。社会には「黙約としてのコンヴェンション」といものがあって、そのコンヴェンションこそが、私たちの文明を方向づけている、という考えるわけです。
 人間本性と、富の最大化と、コンヴェンション。この三つが組み合わされたところに、ヒュームの正義論が生まれていると考えられます。
 ある意味で、ヒュームの正義論は、成長論的な正当化論なのですね。
 ヒュームの考え方は、経済的な意味での自由主義を擁護することになりますが、しかしこのヒュームの擁護論は、現代のリベラリズム、例えばロールズやドゥウォーキンの理論とはだいぶ異質です。
 なぜ、富の増大は、正義の問題となりうるのか。あるいは富の増大が正義ではないとすれば、富の増大は、それ自体が独自の価値として、正義とバランスをとるべき問題とみなしうるのか。この問題に応じることは、現代のリベラリズムと経済学的正義論のあいだの根本問題といえるでしょう。
 (この他、ヒュームの労働観については、とりわけ102, 110頁以下が重要なまとめになっています。)