■思想統制が弱いところで、正統な系統図は多元化する

平山朝治「日本神話にみる自由主義のなりたち」筑波大学『経済学論集』64

平山朝治様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 記紀編纂において、どのような思想統制が行われていたのか。701年に統制が緩和された、ということですが、それによって結局、持統によって改変された「皇統譜」は、絶対的な権威をもつには至らなかった。それで『日本書紀』には、いろいろな異伝、異説が収録されるようになった、ということですね。
 レオ・シュトラウスも指摘するように、迫害を受けた者は、難解なテキストのなかに、秘儀を入れるという手法を発達させていきます。日本においても、執筆者たちは、自分の本が禁書にならないように、権力者が容認するもののなかに、ある別の内容を含めるというテクニックを発達させてきたのでしょう。
 いずれにせよ、思想統制が弱くて、自由主義的な「寛容」の理念があるところでは、正当な権力者の系統図というものが、複数、描かれることになります。『日本書紀』は、そのような複数性を保持しているので、リベラルな編集方針だった。これに対して『古事記』は対照的だ、というわけですが、とても興味深いです。