■律法をもつことの進化論的戦略
- 作者: 橋爪大三郎,大澤真幸
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/05/18
- メディア: 新書
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橋爪大三郎様、大澤真幸様、ご恵存賜り、ありがとうございました。
本当に面白いです。新書大賞をとるだけの、充実した内容とユーモアのセンス。キリスト教を知らなければ、近代社会を理解することはできないし、また近代社会を乗り越えることもできない。キリスト教を知らずに近代化してきた日本人にとって、本書は、さまざまな意味で必要不可欠な考察を提供しています。
日本人は、神様は大勢いたほうがいいと考える。それは神様が「人間みたいなものだ」と考えるから、というわけですね。けれどもキリスト教の場合の神は、よそよそしい。
丸山真男の分類では、「神が宇宙を創造する」(キリスト教)、「神が宇宙を産む」(中間諸形態)、「宇宙は植物のように生成する」(日本の古事記)、という三つのパタンがある。キリスト教と日本の宗教は正反対の考え方に立脚している。
キリスト教にとって、「神」とは、知能が高くて、腕力が強くて、エイリアンのようによそよそしい。けれどもイエス・キリストによって、そのよそよそしさが破られ、「愛」の関係が生まれる。そこに劇的な転換があるわけですね。
ユダヤ教の「律法」を説明する際に、「もしも日本がどこかの国に占領されて、みんながニューヨークみたいなところに拉致されたら?」という思考実験は、とても面白いです。100年経っても子孫が日本人のままでいるためには、どうすればいいか。日本人の風俗習慣をできるだけ列挙して、それを法律化してしまえばいい。例えば、正月にはお雑煮を食べなければならない、そのときに餅は、こういう仕方で切らなければならない、夏には浴衣を着て、花火大会を見に行かなければならない、云々。こういう習慣をすべて法律化してしまえば、日本の文化は、ニューヨークにおいても、そのままの姿で(他の文化と融合することなく)継承されていくでしょう。ユダヤ教というのは、そういう発想ですね。
それがほんものの宗教になったのは、つまり、国家がなくても、生活習慣を「律法」化しているからであり、国家として失敗しても、いつでも国家を作り直すことができるようになっている。そのようにしてユダヤ人は、民族の一体性を保持することができるわけですね。進化論的な戦略として、律法をもつことは、正しかった、ということでしょう。
まだまだ紹介したい点はたくさんありますが、ここらへんで。