■デモクラシーの再帰的な制度化へ

アクセスデモクラシー論 (新アクセス・シリーズ)

アクセスデモクラシー論 (新アクセス・シリーズ)

斎藤純一/田村哲樹『アクセス デモクラシー』日本経済評論社

斎藤純一様、井上彰様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 近年のデモクラシー論をめぐる、政治哲学の最新の成果をまとめた教科書です。とても勉強になります。
 各人が、自分にとっての善を自律的に追求する。そのような枠組みは、リベラリズムの思想によって与えられます。これに対して、すべての市民が、自律的に、デモクラシーを支える規範性を積極的に身につける。そのような枠組みは、ルソー的な民主主義の理想によって与えられます。リベラリズムと、ルソー的な民主主義を組み合わせることで、すぐれた政体を生み出すことができるでしょう。けれども、どちらが優先的・基底的な思想かといえば、それはリベラリズムでしょう。ルソー的な民主主義のもとで、全体主義の統治を行うことよりも、独裁政治の下でリベラルな個人権を保証されている社会のほうが望ましい、と考えられるからです。
 では民主主義をどう考えるべきか。すべての人が、この理念に規範的にコミットメントする必要はないとしても、ある一定の人たちがコミットメントしなければならない。そしてそのコミットメントが、共感原理を通じて広まっていく。そのような自生的な方法のほうが、望ましいと考えられます。(井上論文参照)
 その場合の民主主義というものを、(1)国会ベースの代表者による討議、(2)マス・メディア・ベースの大衆によるシンボリックな討議、(3)権力・権威に中立的で客観的な研究機関による情報提供(権力の監視と批判の役割)、(4)ツイッターなどによる民衆の自生的な言論活動、といった、およそ四つの次元で考えてみると、民主主義を支えるための制度的な装置を、どのような方向に積極的に求めていくのかをめぐって、議論を深めることができそうですね。
 民主主義の運営は、感情の動員を必要としている。感情を動員して、その感情が「世論」を形成した場合に、それを民衆が反省的に評価するような装置を作っておく。そのような仕方で、民主主義の質を向上させることができる。そのためには例えば、「時限つき立法」を増やして、ある一定の期間が過ぎたら、それを評価するようにするとか、投票を二回するシステム(投票二回制)にするとか、そういうアイディアが生まれますね。(斎藤論文)
 実験経済学が明らかにしてきたように、どのように選択肢を「構成」するのか、によって、人々の意見形成は、大きく左右されます。フレーミングによって、私たちの政治的選好は、いとも簡単に反転してしまう。だとすれば、いろいろなフレーミングによって、なんども評価するという態度と制度が、必要になるでしょう。