■売家と唐様で書く三代目

二千年紀の社会と思想 (atプラス叢書01)

二千年紀の社会と思想 (atプラス叢書01)

見田宗介大澤真幸『二千年紀の社会と思想』太田出版

見田宗介様、大澤真幸様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 現代の日本社会を担っている人たちの多くは、いわゆる「二代目」であり、次の時代の担い手たちは「三代目」になる。そのことの意味を考えさせられました。
 「一代目」は、猛烈に働いて、豊かな財産を築くことに成功します。「一代目」とは、戦後日本の高度経済成長を担ったサラリーマンであり、団塊の世代の人たちです。
 これに対して、二代目は、第二次ベビーブーマーあたりの人たちです。二代目は、一代目の苦労を目の当たりにしていますので、一代目の苦労を引き継ぎながら、一生懸命に働きます。豊かさを増大させることに成功します。ところが二代目は、一代目と比べるなら、それほど苦労していないわけです。
 すると「三代目」は、「あまり苦労していない二代目」の親たちを目の当たりにしながら育つので、一生懸命がんばって働くインセンティヴが弱まります。三代目は、働くことよりも、文化や趣味に生きることに、興味をもつかもしれません。一代目と二代目が築いた財産を、食いつぶしてしまうかもしれません。
 三代目は、一代目が得た家を売る羽目になり、自分の家に貼り紙で「売家」と書いたりするわけです。ところがその字体が凝っていて、例えば「唐様」になっていたりする。三代目は、経済的には破綻してしまうとしても、文化的にかなり洗練されたところまで、自分の能力を高めることができる。そうした状況が、いまの日本社会で生まれている、というわけですね。
 一代目と二代目が築いた資産を食いつぶしてしまう三代目は、けしからん、と言われるかもしれません。一代目の人たちが汗水流して働いたように、三代目も一生懸命働いて、日本経済の成長を担うべきなのかもしれません。けれどもそれが難しい。
経済成長のために苦労することよりも、豊かな文化資本を身につけて、文化的に豊かな生活をする。家を売ってでも、文化や自然を楽しみ、また人間関係を豊かにしていくことで、幸せになれるような価値意識をはぐくんでいく。そういう文化資本の滋養こそ、人間本来の姿なのかもしれません。
 ところが私たちは、そのようにストレートには考えることができません。ストレートにはいかないところに、私たちの社会のジレンマがある。そのジレンマは、人間は本来的なものを求めるだけでなく、高田保馬のいうところの、「勢力」に突き動かされて行動するという面に起因するのかもしれません。集団として、あるいは個人として、人間は勢力を形成することに、大きな関心を抱いています。そういった人間を突き動かす動因があるかぎり、経済的に貧しくなって、精神的に幸せになろうという考え方を、日本人は手放しに享受することができないのでしょう。