■成功者が寄付責任を引き受ける社会

古典から読み解く経済思想史

古典から読み解く経済思想史

経済学史学会他編『古典から読み解く 経済思想史ミネルヴァ書房

佐藤方宣様、平井俊顕様、藤田菜々子様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 いわゆる経済学史と違って、経済思想史というのは、古典となったテクストをもとに、思考の体系性を問題にしています。その意味で、古典から読み解くというのは経済思想史の基本ですよね。全体としてよい入門書となっています。それにしても、経済学史の分野の学会が、学会として「経済思想史という言葉を用い、また理論史よりも思想史の研究にシフトしているというのは、現代の学問状況を反映しているような気がします。
 例えば、カーネギーは、製鉄会社の創立者として成功し、巨万の富を手にします。彼の著作『富の福音』(1889)は、富の集中と寡占が正当なものだと主張する一方、富者はその富を社会に還元する責任を負うべきだ、としています。
 まず市場競争を通じて、有能な人間に富を集中させる。そしてその富でもって、無料図書館や学校を作る。カーネギーによれば、そうしたやり方の方が、政府を通じてやるよりも有効だというわけですね。成功した人たちがお金を家族に残すとか、あるいは、政府を通じて多くの人々に少額ずつ分配するというのでは、あまりよくない。むしろ別の方法がある。そうした考え方の背景には、社会進化(あるいは人類の進化)についての、一定の思想があるわけです。人間が少しずつ平等に進歩するよりも、圧倒的な富を有効に利用する方法があるのだ、と。
 この他、人口政策について、ミュルダール流の左派と、他方の保守派のあいだで一致している見解は、移民を排して、できるだけ少子化を食い止める政策を支持することでした。少子化を食い止めることは、一国経済(開発経済)の観点から、プラスになるわけであり、また育児は親の責任であるだけでなく、国家の責任でもある、という考え方ですね。