■無限を捉える有限存在について

正村俊之編『コミュニケーション理論の再構築』勁草書房

正村俊之様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 15世紀に活躍した神学者、クザーヌスは、著書『神を観ることについて』のなかで、興味深いことを述べています。神は、不可視的であると同時に、可視的であるのだ、と。神が不可視的であるというのは、神は「無限の存在」であって、他との区別に基づいて認識されるような「有限な存在」ではない、という意味です。ところが私たち人間は、神をなんとかして認識しようとします。その認識のあり方について、クザーヌスは次のように述べています。

 「絶対的な眼差しは、自らのうちに、あらゆる眼差しの様式を包含しているのであるが、それも個々の眼差しの様式が、全体の眼差しの様式であるような仕方で、包含している」のだと。

つまり、神の絶対的な眼差しは、すべての「個々の眼差し」のなかに、存在するというわけですね。
 ここから正村先生は、イエス・キリストのメディア(媒介)的な働きを踏まえたうえで、メディアの本質も、同じようなものだと、類推します。コミュニケーション・メディアは、無限の可能性を縮減することによって、情報空間を開示しながら、コミュニケーションを開示する、というわけです。258頁。
 メディアが媒介するのは、ある特定の文化だとか文脈(コンテクスト)ではなくて、特定の文化・文脈を超えたものです。メディアは、文脈を超えて、発達することができます。それはいわば、グローバルに開かれた働きをするのであり、たとえば日本語というメディアも、日本文化の特定の基盤を超えて、作用することができます。そのようなメディアの発達が、無限の可能性を秘めたグローバル社会の認識につながっていくということですね。