■ 「賢い人」と「弱い人」

猪木武徳『経済学に何ができるか』中公新書

猪木武徳様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 人間は、完全な知識を持っていないわけで、だからこそ制度を通じて、賢明な生き方というものを合理的に考えられるように、制度を設計する必要がある、というのが本書のテーマですね。
 しかし経済学では往々にして、情報は与えられていると、最初に仮定されてしまいます。そのような経済学の限界を見極めながら、政策を導くところに、思想の重要なテーマがあるといえるでしょう。
 アダム・スミスは、『道徳感情論』のなかで、「賢い人(wise man)」と「弱い人(weak man)」について語っています。「賢い人」は、自分の内面にある「偏りのない観察者の視点」にしたがって、公正で醒めた判断をすることができます。自己をコントロールすることができます。これに対して、「弱い人」は、世間からの称賛を求めて、野心と虚栄心に突き動かされます。
 自由な人間とは、この場合、「賢い人」のことです。「弱い人」は、他人に依存していて、真に独立した充足を得ることはできません。けれども、私たちの近代的な市場社会は、この「弱い人」の情念によって、巨大な富を築いてきたといえます。
 スミスは、「弱い人」の文明論的な意義を認めます。世の中がすべて「賢い人」たちによって営まれるとすれば、それは決して、巨大な富を創造することはなかったでしょう。
 そこで問題は、「弱い人」がいかにして、弱いまま賢明でありうるのか、ということになるでしょう。弱さをプラスに転化する仕組みについて考える。それが経済学的思考のテーマと言えるかもしれません。