■二層功利主義の批判レベルは一つだけか

文脈としての規範倫理学

文脈としての規範倫理学

田中朋弘『文脈としての規範倫理学』ナカニシヤ出版

田中朋弘様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 最近の倫理学説の重要なものが、分かりやすく、しかも深く掘り下げて紹介されています。一気に読ませていただきました。視野がとてもひらけた気分になりました。
 ヘアの二層功利主義について考えてみます。「直観レベル」と「批判レベル」を分けて、これらをうまく組み合わせるのが最良の功利主義、ということでしょう。
 その場合、「批判レベル」での道徳的思考は、ヘアによれば、「一見自明な原則」というものに従うのではなく、むしろ、そのような原則を、個別の場面で、徹底的に疑うことができる、といいます。無限に明細的で、個別的な判断に至ることができる、としています。
 しかし、批判というのは、こうしたある意味で、情報に制約のない状況に身を置くことができる、という想定のもとで機能するものに限定してよいのでしょうか。むしろ個別の状況に身を置きながらも、圧倒的な無知に囲まれた中で働くような批判的能力もあるでしょう。それは「批判レベル」の道徳的思考として不十分ということになるのでしょうか。
 私には、「批判的能力」の性質を二つに分けて考えてみたほうがいいように思います。いまその論理をいろいろと考えているのですが、例えば、「直観レベル」における「自明の原則」の二つが齟齬をきたした場合に、どちらをどのように優先するかという判断は、無限に明細化できる個別の状況に依存するというよりも、メタ・ルールのようなものに依存している可能性があります。そのようなメタ・ルールにもとづく判断もまた、批判レベルに存在するのだとすれば、批判の方法にはいろいろあって、それらをもっと分節化していく方向があるのではないか、と思いました。
 このように考えてみると、功利主義的な思考は、「二層」では収まらず、「多層」的なものになるかもしれません。