■ 能力の偶然性について

政治思想の知恵―マキャベリからサンデルまで

政治思想の知恵―マキャベリからサンデルまで

仲正昌樹編『政治思想の知恵』法律文化社

仲正昌樹様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 本書のあとがきでも触れられているように、大学で政治思想史を教える現実というのは、そんなに甘くないですよね。サンデルがブームの火付け役となって、政治哲学ファンが増えたりもしましたが、サンデルの講義が成功しているのは、学生にきちっと「予習」させているからであって、だから学生も、ピンポイントでもって、難しい議論をすることができるわけです。
 サンデルの議論ですが、子どもを産むに際して、遺伝子を選択できる場合、私たちはその選択をリベラルに認めてよいのか、という問題があります。よい遺伝子を人工的に残していこうとする、優生学的な発想ですね。これを選択の自由として認めてよいのかどうか。
 ロールズの格差原理は、人々の「能力」というものが、偶然に決まるものであって、それから得られる利益は決してその個人のものではなく、共同体のものだと考えます。つまり、他人よりも優れた能力を行使して得た「所得」は、格差原理によって、再分配というか、正当に分配される必要があるとされます。しかし、遺伝子レベルでの選択を認めてしまうと、子どもの能力の善し悪しは、親の選択の結果なのだから、その親の責任である、ということになってしまう。
能力から得られる利益というものが、共同体全体のものであるとみなされるためには、能力の偶然性を前提にしなければなりません。それが格差原理を成立させる条件であります。これに対して「選択の自由」というものを、リベラルな原理によって認めてしまうと、今度はリベラルな原理によって正当化されるはずの、「格差原理」の基盤が失われてしまう。
 サンデルはここで、リベラルな格差原理を擁護したいのでしょうか。能力の偶然性に関しては、ロールズ的なリベラリズムと、コミュニタリアニズムが同じ見解になるという点が問題です。