■デフレを脱却できなければエコノミストは敗北

経済学者たちの闘い―脱デフレをめぐる論争の歴史

経済学者たちの闘い―脱デフレをめぐる論争の歴史

若田部昌澄『増補版 経済学者たちの闘い』東洋経済新報社

 若田部昌澄様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 経済学者たちは「脱デフレ」をめぐって闘ってきたのだとすると、デフレを「脱却」しなければ、エコノミストは「敗北」ということになりますね。本書のカバーで、浜田宏一が記しているように、誤れる経済政策の背後には、経済学者の敗北があるのだと。
 この浜田氏の見解を、本書も共有しているのかどうか。私には読み取れませんでしたが、もしそうだとすると、アベノミックスを支持する立場ということになります。
 増補版で追加された補章で、脱デフレ政策の論争史が描かれています。最も重要な論文は、クルーグマンが1998年に書いたもののようで、そこでは三つのことが主張されています。
 第一に、デフレで名目金利がゼロになると、金融緩和をしても、景気を刺激することができなくなる。これは正しいですね。
 第二に、ここが問題なのですが、デフレの時は、インフレ期待を醸成して、実質金利を上げることができる、という発想です。そのためのインフレ目標設定を、日銀の責任で実行すべきかどうかが争われます。
 第三に、インフレ期待を醸成するために、一時的に、財政政策を使うことは有効である、という主張です。
 さて、インフレ目標の設定は、持続可能な政策でしょうか。インフレ目標が達成されたとして、それは景気回復がないままに、つまり、たんなる停滞の下でインフレーションが進行するという、「スタグフレーション」をもたらすかもしれません。
 いずれにせよ結果判断になりますが、クルーグマン本人は、1998年当時の自分の主張を再検討して見解を変えたようですね。やってみてうまくいかなければ、再検討するというのは健全な態度です。こんど消費税が増税されるときが、金融・財政政策の一つの分岐点になりそうですね。