■経済的動機を具体化すれば経済人にならない

イギリス歴史学派と経済学方法論争

イギリス歴史学派と経済学方法論争

佐々木憲介『イギリス歴史学派と経済学方法論争』北海道大学出版会

佐々木憲介様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 イギリスの歴史学派のレズリーは、経済的動機と言っても、さまざまなものがあり、それを抽象的に「経済的動機」と名付けても、社会の進化法則を明らかにすることにはならない、として古典派経済学を批判しました。「勤労」「征服」「贅沢」「快楽」「放蕩」など、さまざまな要因があって、人は富を獲得する経済的動機を手にします。それはまた、自分のために使う動機づけであるとはかぎらず、誰のために欲するのかについても、具体的に分析されなければならない、と主張しました。要するに、経済学において前提とされる、「経済人」や「利己心」の概念に、問題があるというわけですね。
 これに対してマーシャルは、「貨幣」に関しては、一般的な経済的動機を定式化することができる、と主張しました。どんな動機であれ、貨幣を獲得したいという動機は、抽象的で一般的なものとして概念化することができるので、経済に関する一般的な理論が可能になる、というわけです。
 しかし、マーシャルは、貨幣動機以外の動機(非貨幣的動機)を、どのように扱うべきかについて、あいまいでした。例えば、「経済騎士道」的動機は、貨幣によって計測することはできません。そのような動機は、経済的なものではないから経済分析から外す、ということになるのでしょうか。それとも、縦軸に貨幣的動機、横軸に経済騎士道的動機をとって、労働の供給曲線を描くことが可能でしょうか。
 経済分析のツールは、非貨幣的な動機についても、理論的に扱うことができます。ですから、経済学とは、経済的動機や貨幣的動機に限定される理論ではなく、もっと人間の行為一般に関する理論になるといえるでしょう。この点を明確にしたのは、ミーゼスの『ヒューマン・アクション』であり、また、ミーゼスに影響をうけたロビンズでした。本書で紹介される、イギリスにおける方法論争では、この点まで議論は進展しなかったようですね。