■ 初音ミクは「誰にでもなれる人」

遠藤薫『廃墟で歌う天使』現代書館

遠藤薫様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 本書の副題は、「ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』を読み直す」ですが、ベンヤミンのほかにもいろいろと論じられています。
 とくに、初音ミクの成功は、興味深いですね。
 初音ミクは、既存の技術の複合体です。基本的には、アニメの映像と、音楽作成ソフトを組み合わせたものであり、ユーザーが自分なりにカスタマイズできるようになっています。
 ユーザーというか、初音ミクの「ファン」たちは、このキャラクターが、特定の人格を持つとは考えていませんでした。初音ミクは、「誰にでもなれる人」であり、ファンにとっての、自己表現になりうるものでした。
 あるときは、コレコレの姿で、別の時はコレコレの姿で、という具合に変幻自在なイメージをもつわけです。ファンはこの変幻自在性の幅(偏差)を受け入れました。中核に、あるオリジナルなキャラクターがあって、それをユーザーたちが変形して偏差をつくりだすというのではありません。特定の中核的内容がないまま、イメージが増幅されていくわけです。そんなキャラクターが成功したというのは、ネット時代の面白い現象です。
 原型をリメイクすれば、誰でも自分の好きなキャラクターを作ることができる。しかし「リメイク」は、これを違法とする知的所有権に抵触します。権利上の問題をはらみながら、爆発的に成功していくところが、社会学的に興味深いですね。
ただ、初音ミク以外にも、いくつかのキャラクターが、得意とするジャンルごとに生み出されました。それにしたがって、初音ミクのキャラクターも、差別化され、特定されていきました。するとそこから、初音ミクは特定の人格をもつようになった、ということかもしれません。