■地域通貨と家事労働

地域通貨 (福祉+α)

地域通貨 (福祉+α)

西部忠編『地域通貨ミネルヴァ書房

西部忠様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 地域通貨研究の最新の成果を知る上で、本書は決定版です。
 序章「地域通貨とは何か」では、ルーマンのコミュニケーション・メディア論から、地域通貨というメディアの位置づけへと、議論が展開されています。
 ルーマンの場合、コミュニケーション・メディアには、進化論的に三つの段階があるとされます。第一に、聴覚的・視覚的記号を使用することで、「意味」のためのコミュニケーションを成立させる言語があります。この言語によって、私たちは「理解」の不確実性を減少させます。
 第二に、文字、印刷、通信技術等の、言語を拡充するメディアがあります。これは「到達」の不確実性を減少させます。
 第三に、貨幣や、真理や、権力や、愛や、規範など、「象徴的に一般化されたメディア」があります。これは「成果(受容)」の不確実性を減少させます。
 問題はおそらく、この「象徴的に一般化されたメディア」を、どのように評価するかですね。
 経済や政治や学問が、それぞれに固有の機能分化を遂げるというのであれば、なにも問題ないのですが、これらの領域が互いに侵食したり相互浸透したりするときに、なにが対抗原理となるのかという問題が残ります。
 コミュニティとしての家族という観点からすると、女性の社会進出(貨幣経済への包摂)は、「家事労働」を、「賃金の機会損失」とみなす(貨幣で計算する)ようになります。それは貨幣経済からの家族の相対的な自律性を、削ぐことになりますね。あまりにも貨幣経済が進出しすぎているのだと判断されるわけです。
 では、女性の労働に対する対価を、「地域通貨」によって代替する場合は、理論的にどうなのでしょう。その場合でも、「家事労働」は、「賃金の機会損失」として、貨幣で計算されるかもしれませんね。
 ただ、地域通貨で計算されるかぎりでは、家事労働は、「コミュニティに埋め込まれた労働」との対比で比較されるのであり、「家族」と「共同体」の規範衝突として理解されるでしょう。「家族」と「資本主義」の規範衝突よりも、「家族」と「コミュニティ」の規範衝突の方が、制御可能であり、対処可能です。この規範衝突は、「善の多様性」の問題であって、「善の喪失」の問題ではない、ということになるでしょうか。