■失敗経験をウジウジ考える

藤井聡編『経済レジリエンス宣言』日本評論社

柴山桂太様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 レジリエンスとは、強靭という意味。では、「レジリエントな経済」とは、どんな経済なのでしょう。それは例えば、外部からやってくる恐慌(クラッシュ)の危険から身を守るべく、保護貿易主義を採用するような経済かもしれません。あるいはまた、内部における産業の多様性を育んでいくことや、富と人口を地方に拡散することなども、レジリエントな経済に必要な政策になるかもしれません。
 ショックに強い経済については、しかし、二つの考え方があると思います。一つは、ショックをまともに受けるけれども、そのショックを経験として生かすことができるので、回復がはやい、自己蘇生力がある、という経済です。「学習能力の高い社会」といってもいいでしょう。もう一つは、ショックを受けにくいので、それほど回復に時間がかからない、という経済の構造です。
 ショックを受けにくい社会は、それ自体としては、自己学習力を豊かに持っているわけではありません。自己を刷新していく力は、あまり必要ではありません。これに対して、ショックをまともに受ける社会は、たしかに失敗(クラッシュ)してしまう。もはや学習不可能なほどの打撃を受けてしまうかもしれません。巨大なリスクと隣り合わせです。
 「強靭さ」というのは、その中間にあって、どれだけ学習能力を持っているのかに依存しているように見えます。なによりもまず、実際に失敗を経験してみなければなりません。失敗からいろいろ学び、学習したことを蓄積していかねばなりません。
 そのような学習能力の旺盛さは、「集権化/分権化」や「単一性/多様性」の軸、あるいは「自由放任/保護・規制」の軸などによっては、捉えられない制度理念を必要としているでしょう。
 学習能力が十分に権能強化(エンパワー)されている社会とは、とにかく私たちが、失敗の経験をウジウジと考える、そういうネチッコイ社会でなければならないのではないか、と思いました。