■ 設計主義的理性は自生的秩序を育成しうるか

ハイエクを読む

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桂木隆夫編『ハイエクを読む』ナカニシヤ出版

桂木隆夫様、太子堂正称様、佐藤方宣様、原谷直樹様、今池康人様、柴山桂太様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 ハイエクの立法論の問題は、「こうすれば社会は自生的に生成したであろう」という、反実仮想をどのように理解するかにあると思います。
 実際には、市場社会(あるいは西欧文明)は、民主主義の制度化や、市場競争の制度化など、設計主義的な要素を含めて発展してきたのであり、もしそのような設計主義的な要素がまったくなければ、市場社会の文明は、それほど発展しなかったかもしれません。
 ハイエクはしかし、設計主義的な要素を徹底的に排して、あるいはそのような要素を、立法過程における「育成(耕作)」の観点から徹底的に解釈し直すことによって、自生的秩序の発展を反実仮想として描くことに成功しなければなりません。
 ナイト的な啓蒙理性が必要とされる場面でも、そのような理性の働きが、もっと巨視的にみると、自生的秩序を育成しているのだと解釈する。あるいはそのような啓蒙理性による社会変革よりも、すぐれた改革の方向性があるはずだと考える。この二つのパタンによって、ハイエク的思考は、ナイトの企てを包摂しうる可能性があります。ナイトよりもハイエクのほうが、思想的に深みがあるとすれば、そのような仕方で、どこまで歴史を解釈できるのかにかかっているのでしょう。