■地域通貨とハイエク思想は調和する



西部忠『貨幣という謎』NHK出版新書

西部忠様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 貨幣をめぐる理論と最近の出来事について、とても分かりやすく解説しています。
 本書が指摘するように、インフレ・ターゲティング型の無制限量的金融緩和は、もしうまくいかなかった場合に、さらなる金融緩和をするという選択肢がありません。アベノミクスは、金融政策について、次に打つ手がないというリスクを抱えているわけです。もしこれから日本経済がデフレになった場合、はたしてどんな金融政策をすべきなのか。それが問題ですね。
 本書はケインズ型の政策を批判して、むしろハイエクの貨幣発行自由化論に注目しています。金融自由化によるシステミック・リスクを、国家が救済するのではなく、国家から金融政策・財政政策の恣意性を奪い、財政の健全化を求め、国家による貨幣発行システムの独占よりも、地域通貨などによる多様な貨幣システムによって、貨幣が進化するような制度を展望します。
 すると問題は、国家は銀行などの金融機関が、システミックなリスクを生まないように、信用創造等に厳しい規制をかける必要がある、という点でしょうか。ミーゼスのようなリバタリアンだったら、金本位制を掘り崩すような信用創造そのものに反対ですから、厳しい規制に賛成でしょうリバタリアンの一部、古典的な経済リバタリアンは、自由市場経済を認める一方で、信用創造には厳しい規制をかけ、金融の安定性を確保しようとするでしょう。
 これに対してハイエクであれば、金融の自由化をすすめるよりも、むしろ貨幣発行そのものの自由化をすすめるべきだと発想するでしょう。国家は、国家が発行した貨幣については、責任をもって運営しなければならないけれども、しかしその範囲を縮小するべきであって、民間の貨幣需要は、多様な貨幣発行会社によって満たされなければならない、と発想するでしょう。
 その意味では、ハイエクは、ビット・コインのような民間の発行による貨幣の供給に、期待をかけることになります。ただ興味深い点は、ビット・コインは、不正アクセスによって、マウントゴックスのサーバーから盗まれましたが、その後も比較的安定して流通しているということです。かりにもし、ビット・コインが破たんしても、その技術は改良されて、別の貨幣を生み出すかもしれませんね。そのような改良に、貨幣の進化を展望するというのは、ある意味で究極の自由市場経済擁護論になるわけですが、そのような自由市場経済のもとで、質の良い地域通貨の発展も期待できるというのは、興味深いところです。