■戦後日本はハイエク的な近代化を遂げたのか

鑑の近代: 「法の支配」をめぐる日本と中国

鑑の近代: 「法の支配」をめぐる日本と中国


古賀勝次郎『鑑の近代』春秋社

古賀勝次郎先生、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 これまで積み重ねられてきたハイエク研究を、今度は日本の近代史解釈に応用するという、大変野心的でかつ緻密な議論であると思います。
 1868年の明治維新の直前、1866年に、森有礼は兄にあてた手紙のなかで、日本の慣習と西洋の法を折衷することが公平な制度をもたらすのだ、というようなことを書いています。こうした折衷的な考え方は、日本の近代化においてやがて主流となるわけですが、これに対して中国では、儒教の礼治主義と西洋の法治主義が激しく対立し、これらを折衷するという考え方が主流になりませんでした。だから中国は近代化が遅れた、というわけですね。
 しかし「終章」で示されるように、明治時代に日本が導入した西洋の法思想の主流は、法の支配を重視するハイエク的な自然法思想ではなく、むしろ法実証主義でした。結局、日本(あるいはドイツも)が自然法の「超法的原理」を見直して、実質的な法治国家を目指すのは第二次世界大戦後のこと、と本書は主張しています。
 すると歴史解釈として、明治時代から第二次世界大戦にいたるまでの日本の近代化は、大陸的な合理主義に基づくものであり、ハイエク的な理想と対立する。ところが第二次世界大戦後になってはじめて、日本はハイエク的な意味での「法の支配に基づく合理主義」を実質的な意味で導入することができた、ということになるでしょうか。
 ただそうなると、戦後のケインズ主義政策や原発政策など、ハイエクであれば批判するであろう法律ないし政策が、なぜ実施されたのかについて、さらに説明する必要があるようにみえます。戦後の日本は本当に、ハイエク的な意味での法治国家を実現したのでしょうか。結局のところ、日本はハイエク的な意味で、「法の支配」にもとづく合理主義の法制度を導入したことはないのかもしれません。たんに全体主義をふさぐための「法治国家」の実現ではなく、ケインズ主義や科学主義をふさぐための「法の支配」という理想は、実現されたわけではありません。そのように理解することもできます。いったいどの程度、日本の近代化はハイエク的な要素を持っていたのか、という問題ですね。
 それにしても現在の中国の発展について、ハイエク的な議論は説明力をほとんどもたないかもしれない、と思いました。本書は、中国の憲法が、本来の法治国家のものとは全く異質で、いぜんとして政治の道具に過ぎないだろう、と指摘しています。300頁。そのような国家のもとで、これだけの経済発展が可能になったというのは、逆に驚くべきことであり、ハイエク的な「法の支配」の理想を導入しなくても、社会はかなりの程度まで発展することを示しているのではないでしょうか。戦後の日本は「法治国家」を確立したから経済発展をしたのかどうか。この点にも疑問が残るのですが、いずれにしても最近の中国は「法治国家」を確立せずとも経済発展しているようにみます。この現実をどのように説明すべきでしょう。ハイエクの枠組みに拠ることができないかもしれない、と思いました。