■ノイラートのメタ・アソシエーション


桑田学『経済的思考の転回』以文社

桑田学様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 ノイラートにいたるまでの生物経済学ないし自然経済の系譜を発掘する点で、大変充実した内容になっていると思います。
 とりわけ、オットー・ノイラートハイエクの科学主義批判に強い関心を示したというのは、興味深いですね。ノイラートはハイエク著『隷従への道』への書評を書いて、その後、一年間、ハイエクと文通しました。そのあいだに書かれたノイラートの未発表草稿は、ハイエクに論争を挑むものでした。ノイラートは、自分の目指す合理主義的な社会主義というものが、ハイエクのいう設計主義的な合理主義とは違って、ギルド単位の分散型の社会主義になるだろうと展望しています。
 晩年のノイラートは、コールの計らいで、オックスフォードに亡命します。イギリスでの文化的影響も大きいのでしょう。ノイラートは、漸次的な仕方で、理想を求めていきます。社会秩序を評価する際に、「食糧、住居、教育、健康、そして(気質としての)自由を生産するその能力」というものを重視するようになります。福祉政策に必要な複眼的思考ですね。
 ノイラートは社会主義経済計算論争において、独自の立場をとりました。彼は、さまざまなアソシエーションからなるメタ・アソシエーションの秩序という理想を掲げました。そのような理想の観点から、例えば東ドイツがなぜうまくいなかなったのか、あるいは1989年になぜ東欧革命が起きたのかについて、別様の説明もできるだろうと思いました。
 たとえば、それぞれの産業をギルド(シンジケート)として合理的に組織化して、各ギルドの執行部に経営の責任をもたせるような経済秩序を考えてみましょう。経営がうまくいかなくなったギルドは、倒産します。倒産してから、新たに再編されるまでの過程には、市場の機能を認めることにします。国家やその他の国際機関は、けっしてそれぞれのギルドを救済しないこととします。そのような社会は、ノイラートの理想であったでしょうか。アソシエーションとしてのギルドを救済するために、高次のレベルのアソシエーションを想定する場合には、やはり経営の悪化した(赤字を出して信用を失った)ギルドを救済することになるでしょうか。どうもここらへんが、ギルド型社会主義の可能性を探る場合に、決定的に問題になるのではないかと思いました。