■シティズンシップの地位は下がってきた

軽いシティズンシップ――市民、外国人、リベラリズムのゆくえ

軽いシティズンシップ――市民、外国人、リベラリズムのゆくえ

クリスチャン・ヨプケ『軽いシティズンシップ』岩波書店

遠藤乾様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 古典となったT.H.マーシャルのシティズンシップ論は、一国レベルで社会主義的な福祉国家を実現することを理想としているため、移民の問題に対応できない、という本書の指摘はその通りだと思います。
 社会主義諸国の崩壊以降、そして現代のグローバル化のなかで、シティズンシップの地位はますますリベラルなものとなり、例えば二重国籍を認めたり、帰化要件を緩和したり、といった具合に、開放的なものになっています。
 大枠として考えると、マーシャル的な一国福祉国家のシティズンシップの理想は崩れ、社会権としてのシティズンシップは弱体化しています。代わって、シティズンシップを取得するための地位の要件が、リベラル化していますね。シティズンシップそれ自体の地位は、あまり重要ではない、取得してもコストに見合わないような、そんな最小限のものへと変容しています。例えば「外国人の権利」とか「少数者の権利」といったものは、シティズンシップの理念に照らして、階層的に位置づけられます。
国家がその構成員に対して与える「包摂」も、どの国家であれ、同じようなものとなり、普遍的なシティズンシップのための「アイデンティティ」というものになってくる。そのような傾向の延長線上に、EUシティズンシップといった、国家を超える共同体のシティズンシップも可能になっている、ということですね。
 社会権としてのシティズンシップが衰退したことは、「包摂」という言説が、市民の権利と地位に応じた保障ではなく、賃労働市場への再統合であったという指摘(21-22, Handler 2004)は重要です。またそれに応じて、福祉国家が「条件整備国家」に変容した、というGilbert 2002の指摘も興味深いです(210)。