■平凡な規範言説が流通していまう現代は、面白くない
- 作者: 鈴木洋仁
- 出版社/メーカー: 青弓社
- 発売日: 2014/04/30
- メディア: 単行本
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鈴木洋仁『「平成」論』青弓社
鈴木洋仁様、ご恵存賜り、ありがとうございました。
とても熱のこもった立論だと思います。「バブル崩壊」とか「失われた十年」といったフレーズが、どの程度の頻度で用いられてきたのかという分析は興味深いですね。
平成の時代になって、テレビのニュース番組は、どのように消費されているのでしょうか。それは例えば、80年代におけるニュースの消費パタンと、どのように異なるのでしょう。
80年代の人々は、ニュースを事実として欲していた、というのは本当かどうかわかりませんが、ただ80年代を含めて、社会的に大きな事件は、私たちの社会が抱える様々な矛盾を照らし出すという役割を果たしていましたね。そうした事件をたんに正義の言葉で裁くことよりも、もっと根源的な問題提起があるのではないか、と人々は受け止めることができたのでしょう。
ところが平成になって、とりわけゼロ年代以降になって、そのような見方で捉えられる事件が少なくなっているようにみえます。むろん9.11テロ事件は、根源的に世界を問い直すきっかけを与えました。事件は責任と正義の言葉では消費されなかったでしょう。
現在、人びとはニュースで報道される事件に対して「責任と正義」の言葉で解釈するようになっています。テレビのニュースで、専門家の規範的なコメントも消費されます。コメントは概して平凡なもので、「はやく犯人が捕まってほしいですね」といったものです。そのような正義の言説を聴くことで、人びとは恐れや憤慨のない日常を新たに肯定することができる、というわけですね。
今の社会が一番いい、これ以上にいい社会は存在しない。だからいまの社会を肯定し、この社会を脅かすものは責任と正義の言葉でもって批判する。そのような、ある意味で恐るべき「現状肯定の感覚」があって、その感覚を確かめるために人びとはニュースを消費している。
だから最近のニュースは面白くない、というわけですね。この平成という時代そのものがフラットな時代であり、さまざまな矛盾を原動力にして変動していくという社会のダイナミズムを失っているのかもしれません。