■資本主義は病的な貨幣愛を前提とする

資本主義の革命家 ケインズ

資本主義の革命家 ケインズ


バックハウス/ベイトマン『資本主義の革命家 ケインズ』西沢保監訳、栗林寛之訳、作品社
 西沢保様、栗林寛之様、ご恵存賜りありがとうございました。

 ケインズの入門書です。ケインズによれば、「資本主義」とは、貨幣を稼ごうとする「貨幣愛」をもった人々の本能に強く依存したシステムのことです。しかしそのような「貨幣愛に突き動かさせた人びと」は、いわゆる「利己的で合理的な経済人」とは異なります。ここがケインズの人間観のポイントですね。
 資本主義は、貨幣愛に突き動かさせた人々の本能でもってドライブされるのだけれども、それでうまくいくのかといえば、そうではない。資本主義は暴走したりクラッシュしたりしてしまう。ではどうすればよいのか。
 資本主義の下で不平等が拡大したとしても、貨幣愛をもった人々の稼ぎが「正当な利潤」とみなされているならば、そのかぎりにおいて、資本主義は存続します。けれども、その稼ぎが「正当な利潤ではない」とみなされるなら、資本主義は革命によって転覆されてしまうかもしれません。博打でもって荒稼ぎするような人々がもっとも豊かな生活をする社会というのは、永続しないということですね。
 ケインズは、所有物としての貨幣を愛する人を、病的な人だ、とも言っています。そのお金をなにに使って人生を豊かにするのか。それが問われるわけです。
 でも資本主義は、そうした病的な人々に支えられている、ともいえます。病的だけど、それしかない、ということですね。
 ケインズは、政府の公共事業による経済の安定化を提案しましたが、財政赤字には反対していました。ということは、増税によって均衡財政を達成しなければならないわけです。ところがケインズは、無為盾しています。国家よりもむしろ実業家たちの本能を信じているわけなのです。政府に対するケインズの態度は微妙かつ複雑、というのが本書のケインズ観です。
 「貨幣愛」という、病的な心性に依存した私たちの資本主義は、いかにして健全な精神を取り戻すことができるのでしょう。それがいまだに問われているのだと思います。