■自由とは、他者に向かって心の扉を開くこと


村澤和多里監修・杉本賢治編『ひきこもる心のケア』世界思想社

村澤和多里様、杉本賢治様、ご恵存賜りありがとうございました。

 北海道発の本です。
 大変興味深く読みました。
 著者は冒頭で、「私自身、対人恐怖や対人緊張などで十代後半から二十歳くらいまで、そして二十代後半から三十歳くらいまで、ほとんどひきこもりをしていた経験者である」と記しています。
 また著者は、これまでの人生を振り返って、次のようにも述べています。「五十歳を過ぎたいま考えることは、むしろ「こころの病い」のひっかかりというより、実は自分のなかにある本来的な「こころの自由」を長く失ってきたのではないか、ということだ。自由に考えるということ、自由に考えてもいいのだ、ということ。この当たり前のことをどれだけ長く失ってきたことだろう。そしてその気づきを経てもなお、世間での身の置きどころがぎこちないところはあるのだが、こころの自由を犠牲にすることと比較すれば、それはおそらくたいしたことではない。」(3)と。
 つまり「ひきこもり」の問題は、「自由」の問題である、というのですね。
 自由を探しに、著者は10人の方々にインタビューをして、その内容を構成するという仕方で、本書を書いています。
 ひきこもると、人は自由を失ってしまう。でもその理由は、どこにあるのでしょうか。自由とは、さまざまな出会いのなかにあるのかもしれません。さまざまな出会いによって、心をケアする/されることが、真の自由なのかもしれません。自由とは、他者に開かれたこころの扉である、と。そのように考えてみました。