■自由自在としての自由は、共生社会を駆動する


宮沢賢治と法華経―日蓮と親鸞の狭間で

宮沢賢治と法華経―日蓮と親鸞の狭間で

松岡幹夫『宮沢賢治法華経 日蓮親鸞の狭間で』昌平黌出版会

松岡幹夫様、ご恵存賜りありがとうございました。

 じっくりと味わって読む価値のある本だと思いました。
 宮沢賢治のいう「銀河系」とは、食べたり呼吸したりする存在であり、解放の時を待っているのですね。銀河は宇宙の一大生命であり、法華経のいうところの、宇宙実相の信仰と結びついている、と。
 賢治の法華経理解は、真宗的なものなのですね。ひたすら仏の救いを求めて、自分を卑下して、悪人の自覚を深めている。また、賢治の法華経理解は、体験的なものであり、寛容的なものであると。
 「みんながめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだろう。けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう」。
 賢治のこの言葉は染み入ります。
 初期仏教から、インドの大乗仏教、そして東アジアの大乗仏教にいたるまで、いろいろな発展があったにもかかわらず、その底流に流れているのは、自由自在を人間の理想とするということ。
 完全に自由自在な覚者としての仏教徒は、慈悲の対象について、無差別になることができます。偏愛のない利他心によって、その自由自在の力を分け与えるというのが、共生社会の実践というか駆動因になるわけですね。「すべてを生かす(活かす)」ということ。
 そのためには、他者の苦しみを鋭敏に感受しなければなりません。
 また自分に与えられた自由を自在に楽しむことができなければなりません。
 そして、他人の意見を十分に生かす、ということ。そのようにして、私たちははじめて、各人が各人なりの仕方で、自由を生かす方途を見出すのであり、自由自在を社会的に最大化することにつながる、と。法華経における共生の世界観とは、そのようなものなのですね。