■ベンサム派による新しい立法過程論の提起


ジェレミー・ベンサムの挑戦

ジェレミー・ベンサムの挑戦


深貝保則/戒能通弘編『ジェレミーベンサムの挑戦』ナカニシヤ出版

深貝保則様、戒能通弘様、執筆者の皆様、ご恵存賜りありがとうございました。

 私たちは個人として行為する際に、他者との協調関係を築くためのすぐれた条件を同時に生み出すことができるわけではありません。個人による功利の追求は、自滅的なものにならざるをえない、あるいは自分にとって最大の利益をもたらすようにはならない、というわけですね。誰かが行為を調整するためのよい制度(ルール)を作ってくれないと、私たちは自分たちの功利を最大化することができない。その場合に、ベンサムは、制度設計者が、行為のさいの「期待」を安定化させる役割を引き受けるべきだ、と発想したのでした。
 これはしかし、制度設計者がその都度の直接的な功利計算でもって、制度をデザインするというわけではないのですね。制度設計者は、人々の期待を安定させる必要があり、この条件は、功利的な制度設計に制約をかけることになります(ポール・ケリーの論文。217頁)。この解釈でいくと、ベンサムは保守的な思想家として現れます。行為功利主義ではなく、ルール功利主義を提唱したハイエクと重なります。
 本書のなかで、ベンサムの思想を継承して、新たに現代の規範理論を提起しようとしているのは、安藤馨論文のみでした。同論文を大変興味深く読みました。ベンサム読解としても、新たな立法制度の提案としても、インパクトがあります。
 安藤論文によれば、悪しき統治者は、とにかく時期の選挙で落選させて、首を切る。このようにして、進化論的な淘汰圧を強くかけるような為政者選抜制度が望ましい、というわけですね。私たちは、「何が私によく快楽をもたらすのか」が分からなくても、回顧的には「何が私に快楽をもたらさなかったのか」が分かるわけです。すると、快楽を展望する「展望型の民主主義」よりも、悪しき為政者を否定的に評価するという「回顧型の民主主義」のほうが望ましい、ということになります。これは功利主義というよりも、進化論的合理主義の発想のようにみえます。ベンサム功利主義も、そのような思想的方向性をもっていたのでしょう。
 このアイディアでもって、統治者に進化論的な淘汰圧を課すためには、具体的にどのような制度を構想できるでしょうか。私も考えてみました。例えば、世論調査で、内閣の支持率が50%を下回ったら、その構成員は次期選挙で立候補できないようにするとか。あるいは、ある法案を強行採決するような政府与党に対しては、インターネット投票を通じて、いつでもリコールできるようにするとか。ベンサムの流儀でもって、淘汰圧を高める新しい立法デザインを考えてみるのは面白いです。