■戦時中の日本の法思想


法文化論の展開 ―法主体のダイナミクス

法文化論の展開 ―法主体のダイナミクス

  • 作者: 角田猛之,ヴェルナーメンスキー,森正美,石田慎一郎,大塚滋,鈴木敬夫,北村隆憲,河村有教,プラカシャ・シャー,クレヴァー・マパウレ,テイモア・ハーディン,ファーリス・ナスララ,薗巳晴,宮下克也,荒木亮,久保秀雄,高野さやか,梅村絢美,木村光豪,中村浩爾
  • 出版社/メーカー: 信山社
  • 発売日: 2015/05/07
  • メディア: 単行本
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鈴木敬夫「戦争犯罪を犯した法学について」『法文化論の展開』信山社(千葉正士先生追悼論集)2015年、所収

鈴木敬夫様、ご恵存賜りありがとうございました。

 千葉正士によれば、戦時中の日本で、最後まで自覚的に対決し、妥協しなかった法哲学者は、恒藤恭と田中耕太郎のみだった。高柳賢三と尾高朝雄は、国家を承認しなかったが、批判もしなかった。これに対して小野清一郎と広浜嘉雄は、国家の戦争を積極的に正当化した。(ただし尾高については、その実像について本稿で詳細に検討されています。)
 小野清一郎の場合、彼は「日本法理」という概念を使って、聖徳太子が作った憲法17条を当時の「国体の精華」であると位置づけました。そしてその聖徳太子が戦争を正当化したことを挙げて、大東亜秩序を建設するための戦争も正当化されるという論理を築いたのですね。むろん小野は、戦後になると、仏教の立場から「憲法九条は正しい法である」という考え方を示しています。転向したわけですね。
 戦時期の小野の法思想は、たしかに確信犯的でしょう。しかしもっと問題なのは、千葉が指摘するように、戦時期の日本法哲学が、戦争に突入する国家体制に対して、何一つ有効な批判をすることができなかった、という点なのですね。だれも批判しないということが問題で、だから戦後の思想は、まずなによりも「批判理論」を展開するようになった、というのはうなずけます。