■ポランニーの自由論

新書784カール・ポランニーの経済学入門 (平凡社新書)

新書784カール・ポランニーの経済学入門 (平凡社新書)

若森みどり『カール・ポランニーの経済学入門』平凡社

若森みどり様、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 新書ですが、とても内容が詰まっていて、しかもポランニーの現代的意義を探るべく、さまざまな二次文献が参照されています。とても興味深く読みました。
 ポランニーのいう「二重運動」は、その帰結として現代の福祉国家を生みだすことになるわけですが、すると問われるべきは、これから先は、「いかなる社会の自己防衛が望ましいのか」「私たちはいかなる種類の政府介入を正当化すべきなのか」ということになるでしょう。どんな福祉国家が望ましいのか、という基準を探るとき、やはりそれは何らかの自由を実現するものでなければならない、と考えるなら、思想的には、T.H.グリーンのような積極的な自由主義を継承することになるのかもしれません。
 もちろんポランニーはグリーン流の人格主義の理想を掲げているわけではありません。ポランニーがいう「社会的自由」は、その最高段階として、「人間相互の社会的連関が、家族や共産主義的共同体において実際にそうであるように明瞭で透明なもの」になることを想定しています。この「明瞭で透明」というコミュニケーション的自由の理想は、一方には疎外の克服=コミュニオンとして、他方には組織運営の完全な計画管理能力として、これら二つの意味で理解されているのだと思うのですが、いかがでしょう。思想的には、これはポランニーに固有のものというよりも、当時の共産主義思想に共通する考え方であると思います。問題は、この思想を規範的に支持するかどうかですね。
 現実には、「社会的自由」を実現するといっても、コミュニオンを強制しない組織、複雑な社会においては「完全な計画・管理は無理」だけれども、リスク管理を最大限に実践するような組織、あるいはまた、コミュニケーションを外部に開いて批判可能性を保持する組織、といったものを、人々は求めるのかもしれません。現代社会にポランニーを生かす場合、「社会的自由」をこのように読み替えてよいかどうか、ということが問題になるでしょう。
 ただポランニーは他方で、「良い自由」と「悪い自由」を区別しています。「良い自由」とは、良心の自由、言論の自由、集会の自由、結社の自由、職業選択の自由、などの市民的自由。「悪い自由」とは、失業、投機家の自由、技術的発明を公共の利益に使わせない自由、公共の災害を秘かに私的利益に供して利潤を得る自由、共同体に相応の貢献をせずに不当の利益を得る自由、などとされます(236頁)。
 自由を「良い/悪い」と区別する場合の基準は、なんでしょうか。たんに「明瞭で透明」という基準によって区別されるのではなく、私は「成長論的自由」といった何らかの基準で、それぞれの内実を理解し、また適切な政策を考えることができるのではないかと思いました。
 もう一つ、ポランニーの二重運動論に照らして2008年のリーマンショックを理解する場合、一部のポランニー派は、次のように解釈するでしょうか。すなわち、この危機は、新自由主義的な自己調節的市場がもたらした「市場の失敗」であり、またその後の対応策にしても、政府は金融機関の活動に制約をかけなかった点で、新自由主義的であった。つまりこの危機は「社会の自己防衛」の欠如から生まれ、またその後の対応策においても、「社会の自己防衛」はなされなかった、と。
 私の見方は異なります。リーマンショックの原因は、ブッシュ政権における資産形成社会政策、すなわち住宅ローンの優遇政策という政府介入であり、これは社会の自己防衛であった。しかしこの防衛的介入は、住宅市場に対する不健全なシグナルを与えた。加えて、リーマンショック後の政府対応は、銀行やその他の金融機関を救済するものであり、これもまた、経済的自由主義の原則を踏みにじるものであって、やはり社会の自己防衛に基づくものであった、と。
 ポランニーの『大転換』のアプローチで現代経済の動態を描く場合、リーマンショックをどのように位置づけることができるのか、という問題です。
おそらく、社会の自己防衛といっても、「望ましい自己防衛」と、「望ましくない自己防衛」があり、その規範的基準が争われるのではないでしょうか。