■平等主義は勤労を規範とする

応用政治哲学―方法論の探究

応用政治哲学―方法論の探究

松元雅和『応用政治哲学』風行社

松元雅和さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 格差原理をめぐって、コーエンとロールズの関係を考えるとき、少なくとも観念的には、次のような状況を想定することができます。すなわち、「生産性の高い人たちは、かりに所得が平等であるとしても、同じくらい一生懸命に働く」という想定です。
 もし生産性の高い人たちにこのようなインセンティブがあるのなら、平等主義の分配は実現できるでしょう。共産主義の想定では、人々は能力に応じて働く(べき)、とされます。これはつまり、生産性の高い人は、所得が平等でも、一生懸命に働くインセンティブを失わないという想定ですね。そのようなエートスがあれば、平等主義は可能でしょう。
 しかし所得格差だけでなく、インセンティブ格差、各種の能力格差、資産格差、あるいは身体的特徴の格差など、さまざまな点で、格差の問題を扱う場合には、どのような社会契約に至るでしょうか。例えば、所得が労働のためのインセンティブとしてどれだけ有効なのかについても、人々のあいだに見解の格差があります。あるいは、生まれ持った能力の格差や、能力を引き出すための環境の格差(過去・現在・未来)もあります。原初状態において、何らかのかたちで、こうした格差について是正すべきであることに合意しうるなら、私たちは、ロールズの格差原理やコーエンの平等主義原理とは異なる結論にいたるでしょう。
 平等主義は、勤労という倫理規範によってではなく、別の要因で支持される可能性があります。その可能性について考えてみたいです。