■育児休暇は育児義務とセットで

ジェンダーの政治経済学 -- 福祉国家・市場・家族

ジェンダーの政治経済学 -- 福祉国家・市場・家族

原伸子『ジェンダーの政治経済学』有斐閣

原伸子様、ご恵存賜りありがとうございました。

 1990年代の後半以降、福祉国家の理念が問われ、再規定されるようになりました。イギリスではフリートランドとキングの議論があります(196頁以下)。それによると、福祉の受給者と国家は契約関係を結ぶとされます。どんな契約か。例えば、国民は、読み書きできる能力を身につけなければ、権利を失う、といった契約です。「読み書きができない」人は、失業者になったときに、失業手当を支給されない、と。
 イギリスでは、そのような失業者は、「読み書きの再教育」を受講しなければ、失業手当を打ち切るという制度が導入されているのですね。福祉の受給者は、一定のスキルを身につけて社会に貢献するという責任を果たさないかぎり、福祉を受給されないというわけですね。
 これは一見するとリベラルなようで、不寛容でもあります。こうした福祉政策は、労働者を「自律した市民」として規律することを含んでいます。労働したいのかどうかといった人格の中身に立ち入らずに福祉を支給するという、従来型のヒューマニズム的なリベラルの福祉政策とは異なります。「シティズンシップ論」はこの場合、主体的自律の権力作用を肯定する理念として用いられますね。
 この点を明確にしているのは、1998年のイギリス、ニュー・レイバーの『New Ambitions for Our Country』です。
 福祉の支給水準が、最低限度の生活の水準を超えて上がるとき、そこには「福祉漬け」による怠惰の生産という問題が生じます。福祉漬けによる怠惰も、進化論的に有意義なのだと弁護する立場もありうると思いますが、ハーバーマスも含めて、シティズンシップ、すなわち市民的参加のための基本的なニーズを満たすことは、公共の場面で自身をさらけ出し、政治的に一定の義務を果たすような主体を産出することを要請することになりますね。
 このような市民的義務論の延長で、男性と女性の労働者が、どの程度まで家事や育児にかかわるべきなかを、市民的な観点から義務化する、具体的には「育児休暇」を制度化する、という方向性が考えられます。シティズンシップ論からケア・レジームへの道徳的義務の拡張です。市民であるまえに、あるいは市民であることに加えて、「父としての義務」「母としての義務」を制度的に支援するという方向ですね。
 この場合、育児の義務を自律的に果たしていない人は、育児休暇を取り上げられることになるでしょう。そのような監視権力の作動とセットで、ケア・レジームを考える必要があるでしょう。