■多元主義と自由主義

アイザイア・バーリン 多元主義の政治哲学

アイザイア・バーリン 多元主義の政治哲学

上森亮『アイザイア・バーリン 多元主義の政治哲学』春秋社[2010]

上森亮様、ご恵存賜りありがとうございました。

多元主義の基本的な特徴は、三つあるだろう。まず社会的な事実として、人々はさまざまな価値観をもっているということを前提としよう。その上で、(1)道徳的な問題にたいして、私たちは一つの正解を与えることができない。(2)人々は価値観を共有していなくても、理性的なコミュニケーションをつづけることができる。(3)合理的であるとは、必ずしも一意的・唯一的な正しさを意味しない。この三つの命題を認めることが、多元主義の基本的なスタンス。ここまでは、多くの人が共有できるだろう。問題は、ここから多元主義を乗り越えるメタ議論を提示する立場を、どのように評価するか、という点だ。

・諸価値が対立したり拮抗する場合に、「棲み分け」的発想でいくのか、「闘争的関係性の構築」でいくのか。またいずれの場合にも、拮抗する諸価値は、メタレベルで体系化されて、いっそう包摂的な思想へとコンバージョンすることができるのか、あるいはそのようなコンバージョンを拒否して、諸価値の闘争的関係性のなかに、ある種の社会的理想を認めるべきなのか。多元主義をいかに遇するか、それが思想的問題。

バーリンのロシア・コネクション、とくにバーリンのゲルツェン評価は重要。「なぜ個人の自由は追求する価値があるのか。それ自体のためであり、……大多数がそれを望むからではない。……自由の価値は、文明や教育……の価値と同様に、それなしでは個人の人格がそのすべての潜在能力を実現化できない、という点にある。」H. Hardy and A. Kelly eds., Russian Thinkers, 2nd ed., Penguin Classics [2008: 107-108], (244頁)→ゲルツェンは、自分の潜在能力を実現するために、祖国ロシアを去ったわけだが、ならば自由な国家の理想とは、人々の潜在能力を実現するための、最大限の機会と支援を与える政体ではないか。

・どれだけ多くの可能性が個人に開かれているのか、その可能性はどれだけ実現可能性があるのか、それらの可能性はどれだけ重要な価値を持つのか、またそれらの可能性はどれだけ人々に評価されるのか。潜在的可能性に関するこれらの基準を多く満たしている社会が「実質的自由」の世界。だが問題は、これらの問いに答えるための、明確な尺度が見つからない点だ。だから私たちは、実質的自由を理想とする思想や制度構想を、なかなか展開することができない。バーリンはこの問題の重要性に気づいていたようだ(150頁)。現代の自由主義が必死に展開すべきは、この実質的自由の理論ではないか。

・サンデルの問い。自由が道徳的な特権的地位を持っていないなら、もしも多くの価値の中のたった一つにすぎないならば、自由主義を支持するために何を主張できるのか。この問いは、平等や友愛などの価値にも同様に当てはまるだろう。道徳的には、私たちはさまざまな価値を、比較的安定した編成によって維持することを、日々の道徳的な実践としている。しかし道徳的価値と社会制度編成の関係を考える場合には、もっと複雑な思考が必要だ。これは思想そのものの意義をめぐる基本問題なので、豊かに問いたい。

■ダイナミックなケイパビリティを定義する

ダイナミック・ケイパビリティ―組織の戦略変化

ダイナミック・ケイパビリティ―組織の戦略変化

C.ヘルファットほか著『ダイナミック・ケイパビリティ 組織の戦略変化』谷口和弘/蜂巣旭/川西章弘訳、勁草書房[2010]

谷口和弘様、ご恵存賜りありがとうございました。

・ダイナミック・ケイパビリティの原初的な定義は、組織の現行の慣習・学習パタンを統合したり再配置したりして、急速な環境変化に対応する能力、といえる。環境の変化が緩やかな場合には、組織は、いま使える資源を最大限に使うための戦略を立てることができる。これをオペレイショナル・ケイパビリティと呼ぶことができる。これに対してダイナミック・ケイパビリティとは、組織の資源ベースを、創造・拡大・修正する能力のこと(2頁)。例えば、買収、戦略的提携、新規参入、新しい生産プロセスや新しい製品の開発、などに発揮される能力である。

・企業は乱気流的な環境の下で、短期的な利潤の最大化を追求するのではなく、資源ベースのダイナミック・ケイパビリティを追求する、という仮説を立てることができる。ここでは変化する市場環境をどのように識別するか、という認識が重要。

・どれだけ多くの子孫を次世代に残せるか、という進化的適合度への戦略が、ダイナミック・ケイパビリティの尺度となる。どれだけ儲かるのかを問うのではなく、組織がどれだけ進化するかを問う。しかし、この組織がどれだけ存続しうるのか、と問うのではなく、どれだけ子孫を増やせるのか、と問う。この場合の子孫とは、必ずしもその組織である必要はないだろう。また、この組織がどれだけ成長しうるのか、という戦略を問うのではなく、たとえ個々の成長が実現しなくても、潜在的な可能性そのものをいかに増大させることができるのか、そのための戦略を問う。さらに、価値創造の質を現実的に問うのではなく、例えば買収や提携の場面で、他者との豊かな関係を築くための能力を問う。加えて、一定の競争環境の下での「競争優位」を問うのではなく、競争環境が変化するなかでダイナミック的な進化を遂げるための資源を問う。ダイナミック・ケイパビリティの概念は、こうした問いかけを、研究プログラムとして体系化していくためのハード・コア理念だといえる。ただしこの点にかんして本書の記述はもっと実践的で、理念としては妥協的。グローバルな提携、買収、合併などによって、急速に再編されるビジネスの実践知を、模索する。

■成長論的なリバタリアン?

森村進「グローバリゼーションと文化的繁栄」『人文・自然研究』(一橋大学)第四号[2010]

森村進様、ご恵存賜りありがとうございました。

・これは驚き。グローバリゼーションは文化の繁栄をもたらすので、文化事業に対する公的支援をする必要はない、という。成長するから介入する必要はない、という、これはつまり、成長論的リバタリアニズムではないか。

リバタリアニズムが、オペラなどのハイ・カルチャーに、国家支援を求めるような立場(例えばドウォーキンのようなリベラリスト)を批判するのは、分かる。しかし例えば、全国の地方自治体にある図書館のような制度を、リバタリアニズムは私営にすべき、というのだろうか。

・ラディカルな左派が求めているのは、例えば、図書館などを通じて、インターネットを無料で利用できるようにすること。そのほうが、文化的繁栄をもたらすかもしれない。もし成長論的な基準でもって文化制度の正当化を図るなら、リバタリアニズムの強固な基礎は崩れてしまうようにみえるのだが。森村流リバタリアニズムも、たんなる直感基礎付け主義ではなく、成長論的な構えを持っているということは、この論文から押さえておきたい。

■三位一体説をどう捉えるか

大澤真幸THINKING「O」創刊号

大澤真幸THINKING「O」創刊号

大澤真幸編集の雑誌『THINKING O(オー) 創刊号』2010年4月、左右社

大澤真幸様、ご恵存賜りありがとうございました。

・医師の中村哲さんが、アフガニスタンで用水路を作ったことに、まず敬意を払いたい。その意義は何か。交響圏と交響圏をつなぐ、グローバルな連帯を実践的に表現している、ということだ。

・連帯の課題は、共同体と共同体の間に、たんにコミュニケーションを可能にするだけでなく、個々の共同体を包摂するような、包括的な共同性の関係を打ち立てることである。世界全体が一つの包摂的な営みになるとイメージできるためには、三位一体説的な発想が必要となる、と大澤は論じる。

・信仰の共同体が「聖霊」で、その共同体をいったん疎外し、物象化したものが「神」である。対自的な共同性においては、「聖霊」と「神」は一体化している、といえる。ところが、個々の共同体を超えて、信仰の包括的な共同性に到達するためには、「子(イエス・キリスト)」の働きが必要となる。それは、共同性を拡張する媒介の働きであり、中村哲さんの活動はまさに、それにふさわしいというわけだ。

・キリストのように生きることが、グローバルな包摂を実現する。この考え方と異なるグローバルな実践は、聖霊が、個々の共同性を超えて、共同体と共同体とのあいだに、コミュニケーションの媒介を果たすような働きであろう。商人、移民、マージナルな文化人、等々。マルチチュードの活動によるグローバリズムの推進は、もはや既成の共同体(聖霊と神の一体化した政体=国民国家)を維持せず、これを解消しながら、自生的な増殖原理となっていく。