■リバタリアニズムと伝染病


入門・医療倫理III: 公衆衛生倫理

入門・医療倫理III: 公衆衛生倫理

赤林朗/児玉聡編『入門・医療倫理? 公衆衛生倫理』勁草書房

赤林朗さま、児玉聡さま、執筆者の皆さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 公衆衛生の問題は、イデオロギーの試金石でもあります。本書では総論と各論のあいだに「政治哲学的基礎」の解説が置かれていて、そこでイデオロギーについての諸学説の検討がなされています。とても興味深く読みました。
 医師で医学史家のトーマス・マキューン(MacKeown)は、イングランドウェールズのデータを用いて、結核やインフルエンザなどの感染症について研究しました。
 それによると、19-20世紀に感染症による死亡率が減った要因は、食生活や栄養状態の向上や衛生状態の改善にありました。ワクチンが効果を発揮するようになったのは1935年以降であります。
 この事実に照らして考えると、リバタリアニズムは、かなりの譲歩を強いられるでしょう。リバタリアンな人々でも、結核やインフルエンザなどの脅威から身を守るために、政府に対して何らかの政策を求めるでしょう。政府は人々の「所有権」を保証しなければならないという観点から、所有権の中核にある身体を、他者の危害から守る必要があるからです。
 しかしそのために政府がなすべきことは、福祉国家政策と一致します。つまり人々の生活水準の向上を計るための諸政策が必要であり、これは財の再配分を提唱する福祉国家の政策と重なります。
 伝染病などから人々の生命=財産権を守るべきであるとすれば、リバタリアニズム福祉国家の政策はある程度まで一致する。福祉国家リバタリアニズムの思想によって、ある程度まで正当化できますね。
 ここからさらに、例えば受動喫煙による健康被害(場合によっては死)を最小化するために、リバタリアニズムはその論理の延長で、政府介入を認めることもできるでしょう。
 問題はリスクに対する感覚ですね。リバタリアンは、リスクに対して最も楽観的な人というわけではありません。リバタリアンは自立を重んじますが、自立した人がリスクに楽観的になるとは限りません。するとリスクがわずかでも、その因果関係が特定できるのであれば、リバタリアンの観点からも、禁煙ゾーンの設定やたばこに対する高率の課税などの、さまざまな政府介入を正当化できることになるでしょう。ただしリバタリアンは、政府が肥大化するリスクについては、悲観的かつ敏感でしょう。